小田川、下流部、高梁川に合流地付近まで、その4

2014年1月24日

井原市役所から高梁川放流地点のほんの手前まで、往復、悔いを残す

 

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小田川探索も遠くになってしまったなぁ。
7時半ごろに家を出て、井原市役所に到着するのは11時過ぎなんですよ。アプローチに時間がかかる、これがホンチャンの自転車の妨げになっているのですよ。
高速山陽道を使って、笠岡インターで降りる。笠岡からの道はよく空いている。もしも、福山東インターから進んだら、信号に引っ掛かって混雑してイライラしたことだろうね。
車は井原市役所の駐車場に置かせてもらう。
国道486号線に沿って進んでいくんですよ。
最初に小田川を渡る。井原大橋を渡るのだ。井原大橋を渡りながら小田川を見下ろす。上流の方向を眺める。山の狭間から井原の市街地で解放されてゆったりとした流れに変わるのだ。
国道沿いというのはそんなに語るべき何物かがあるわけでもないのだ。
荏原駅への案内が出ている。
荏原駅とは、正しくは早雲の里荏原駅、ここを出発点にして、瀬戸内観音札所の、千手院、法泉寺、を参拝したことがある。その時、自転車で廻ったんですよ。
正しく言うと、コースは接触していないのだよ。早雲の里散歩は、駅前北口から出発した。今回のは、駅前南口にいるのだ。
固いことを言うと、交わってはいないのだが、ほぼ隣接している、ということで、そこは堪忍してちょうだい。
ちょっと進んで、ここが井原市と矢掛町の境界、川向うは笠岡市というえらく接点が微妙なところにいるんですよ。
矢掛町は、やかげ、と読む。奈良朝、平安朝のころは、やがけ、と読んでいたことだろう。発音を漢字で書き留めて、矢掛、と書いたのだ。発音は、やがけ、だろうね。
日本語の流れに、言いやすい方向に発音してしまう、という傾向があるのです。
口を大きく開けて発音するのから、口を閉じて発音する傾向に移行している。上品化しているんですよ。
代表的な例に、万葉時代は、母は[ぱぱ]だった。[ぱぱ]が[ふぁふぁ]に変わり、今では[はは]と発音する。唇の動かし方が省エネなんですよ。
このあたり一帯は小田なんですよ。集落名が小田なのだ。郵便番号が 714-1227 の範囲の広い地名なのだ。
矢掛町は小田郡、もともと小田郡はもっと広い範囲だった。井原市、笠岡市に合併して、今は小田郡を名乗るのは矢掛町だけになった。
その小田郡の小田がここなんですよ。
小田川の小田の由来はこの集落名なのかい、がっかりだね。いえいえ、小田郡という名高い由緒から来たのだ、と認識してちょうだい。
で、小田駅がここにある。小田の集落を代表する駅名ではあるのだが、小田郡を代表する駅名と思ってね。
矢掛町の市街地は通らず、国道が川沿いに走っているまま、走り抜ける。
吉備真備きびのまきびを祀った吉備大臣宮がある。
弥生時代の吉備王朝かしら、吉備豪族の宮かしらと思ったが、奈良朝の吉備真備を指しているのだとわかった。
吉備真備は、小野妹子らと一緒に遣唐使留学生になり、帰国後、朝廷で活躍した。
吉備大臣宮は学問の神として大事にされているのだそうな。
倉敷市との境界を越える。倉敷市と合併する以前は、
真備まきび町で、矢掛町と旧真備まきび町の境界なのだ。
備中呉妹駅がある。びっちゅうくれせと読む。
という地名があり、尾崎があり服部がある、織物関連でくれと関係があるのかもしれない。
次の駅が吉備真備駅、吉備真備をめぐって、あちこちで取り合い・引っ張り合いがあるのだね。ま、どっちも吉備真備領内だから、主張に根拠はあるわけだ。
人名の姓名をそのまま駅名にしたのは、他には、宮本武蔵駅、早雲の里荏原も、北条早雲の里荏原と命名していたら、ユニーク尽くしだったのに。
ここで大きく間違えてしまった。
前夜の図上演習では、吉備真備駅の次の駅、川辺駅の次の交差点を曲がる予定だった。勘違いして、吉備真備駅の次の交差点、二万口南で曲がってしまった。
二万橋を渡る。ひらがなで、にまばし、とあるので、へぇ、二万は[にま]と読むのかい、ひらがなで書いてくれなきゃわからないね。
明治のころは、二万村があって、にまむら、と独立単位だったのだねぇ。
堤防を進んで、堤防が尽きて、行き止まりになってしまった。あれぇ、こんなはずではなかった。
小田川の向こうに見える橋は、井原鉄道の鉄道鉄橋、隣に見える橋は小田川最後の橋の南山橋だった。
四回に分けて小田川を探索したのに、最後の詰めを誤ってしまった。
引き返して迂回して南山橋に行けばええじゃないか。
あのね、午後もだいぶ時間が押しているんですよ。これ以上時間をかけるわけにはいかない。惜しいけど、引き返さなきゃならない時間なのだ。
二万橋から右岸の堤防を帰ろうか。いやいや、やめとこう。地図で演習したところでは、道があるのかないのか、不明のところもあった。左岸を引き返そう。
備中呉妹の駅の裏あたり、ここから下流は開放的だが、上流を見ると川に山が迫って閉鎖空間が迫っているのが見える。
ずっと堤防の上を行くわけにもいかないのだよ。備中呉妹駅の先からは国道を行かなきゃならない。国道が堤防を兼ねているのだよ。
矢掛町で市街地を行ってみよう。
ほう、宿場町で、伝統的建物保存地区ではないが、じゅうぶん雰囲気が残っていて、白壁漆喰の建物がいっぱいあるじゃないか。
なによりええのは、商店が健在なことだよね。立派に店を開けて商品が見えるように並べてあることなんだよね。
どこやらの伝統的建物保存地区、イカのような新鮮さはない、スルメでしか売りようがない。遺物保存のようでげんなりした保存地区とは全然違う。
案内図を見て振り向いた。あ、これが本陣なのか。参勤交代のお殿様が泊まった宿なのか。
脇本陣は離れたところにあるのだそうな。そっちは見逃した。看板が出ていないからわからなかった。
帰ろう、帰ろう。どんどん日が落ちてくる。
時間でいうと、わたしのところから遠いのですよ、2回に分けて然るべきなんだがね、一気にやってしまいたいので無理を押して行ったのですよ。
井原市役所の駐車場まで帰ってきた。ちょっと薄暗くなってきた。日が暮れる前に帰れてよかった、よかった。
家に帰ってから、二階へ登る階段がえらい堪える。腿の裏側、ハムストリングスが突っ張る。
帰り道、ずっと向かい風だったんですよ。漕いだ、漕いだ。日頃の自転車走法よりはるかに負荷がかかった状態だった。このせいだったんだね。
ま、これも一晩だけ。朝起きると痛みも消えていたから、単なる疲労だったのだね。
参考 小田川を探索しています、上流から下流まで
2013年11月_8日 小田川、上流部、神石高原町、その1
2013年11月21日 小田川、上流部、県境まで、その2
2013年12月23日 小田川、中流部、県境から井原市街、その3
他にもあります
2009年_6月28日 岡山、井原市、早雲の里散歩

 

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井原市役所 井原大橋から小田川上流を 早雲の里荏原駅 井原市と矢掛(やかげ)町の境界
小田駅 矢掛町と倉敷市の境界 吉備真備駅 二万(にま)橋
行き止まり 高梁川はあの向こう 小田川堤防 矢掛本陣

 

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