2010年5月15日
お山歩くらぶ(鴨さん、みーとさん、ほーちゃん、しぇるぱ)
山域:広島県安芸高田市

安芸高田八千代の城址、阿賀城山2

 

画像をクリックするとそのままそこだけ拡大表示されます
Microsoft Edge のユーザーは、画像・テキストにちょっと触れてください、その効果で、ポップアップページは消えます
Internet Explorer Google Chrome Mozilla Firefox のユーザーは何もしなくてもポップアップページは消えて行きます

 

八千代町基幹集落センター今日はお山歩くらぶの山歩き、阿賀城山はどぅお、と候補にあげたのはわたしなんです。
集合時間を10時半でどぅお、と提案したのもわたし、見積もった集合時間でじゅうぶんでした。
この国道54号線、安芸高田市八千代町かいわいには駐車場所の適当なのがないのですよ。
空き地はありますよ。砂利で埋めてしまった農地、潰れた工場、堂々と使うには
はばかるものがある。
公共の用地に止めましょうよ。八千代町基幹集落センターという施設がある。そこには広い駐車場がある。
原爆慰霊碑の前のあたりなら、止めても行事には差し支えることはないと思うよ。
ほら、谷向こうに尖っている山、頂上の木々が透けているのがみえるでしょ、あれが阿賀城山、頂上が城跡なんだよ。
しばらくは国道54号線の歩道を歩くのだよ。トラックの風圧で体が揺れるがちょっとの辛抱だからね。
阿賀城山信号のある交差点まで来ると、阿賀城山登山道南口と標識がある。
この標識をみて、阿賀城山という登山対象の山があるのだと発見したのだよ。
ローカルな呼び名だもの、阿賀城山とは地図には出ていません。
ここで右折して、山に向かう。
このあたり、南を見ても北を向いても、どっちも傾斜が下がっているように見えるでしょう。
河川争奪の現場なのだ、江の川と大田川が流域源頭を争って戦いをしているのだ。
大田川の谷が楔のように打ち込んで、江の川の源頭を奪っていったのだ。分水嶺ではなく分水平地なんだよ。
河川争奪について熱く語ったが、鴨さん、みーとさん、理解してもらえたかしら。
阿賀城山登山道南口河川争奪の代表例として、この地が教科書に出てくるのですよ。
ほかには、兵庫県丹波地方の加古川と武庫川と由良川の源流域、などが例として取り上げられている。
たんぼが尽きるあたりで、案内板が出てきて、案内板に従って左折して山に入る
柵に扉が取り付けてあって、開けて入ったら必ず閉めるのだよ。この柵は鹿を締め出すため、この近所では鹿が増えすぎて困っているのですよ。
最後の民家、たぶんこの家は無住の家のように思えるのだが、そこを過ぎて墓地を抜ける。
墓参り用の舗装路林道があって、道路を横断して、いよいよここからが山道になる。
墓地の先で、鹿が道を横切る、たちまち山の中に走り抜けてしまう。ピーっと鹿が鳴いた。
扉を開けて入る前回、ここを歩いたときも鹿を見た。この界隈では鹿は珍しい動物ではない。愛らしいどころではない、ただの害獣なのだ。
キジが鳴いてバタバタと飛び出して行く。
桃太郎にイヌ・サル・キジがお供するんだが知ってるかい。そうそう、鬼退治、えらいねぇ、ちゃんと知っているんだね。
山頂まで300m、と看板が出て、そのあたりは尾根に乗ったあたり。
尾根に乗ったと安心しても、いつのまにか、山腹を歩いていて、巧妙な道作りだね、道を築くのに手間をかけているんですよ。
そりゃそうだ、ただの山仕事の道ではない、頂上に城があったのだ、城への大手道を仕事道に転用しているのですよ。
山頂直下の案内看板があって、左に曲がって頂上を目指す。
ほら、頂上は透けて見えているでしょ、あとはほんのわずかだよ。
山頂まで300mさぁ、ここが頂上。頂上は広場になっている。
見下ろすと国道54号線が谷を貫いて走っている。河川争奪の戦いの現場がそあこなんだよ。
眼下の谷間の沖積平野に楔のように打ち込まれた谷がある。江の川の源頭はもっと向こうの山の中にあったのだよ。
奪って出来た谷が根之谷、可部の街を経て大田川に流れるのだよ。
その根之谷の背後に見えるのが福王寺山、その前の低い山が高松山、可部の街は両者に挟まれてあるのだよ。
頂上にはアズマヤがある。中央にあるのではなく、展望が効く端っこのほうに設置してある。その設置方法、ヒットです。
去年の今頃、ここに登ったのだが、ベンチはあったが、アズマヤがあった記憶がない。ここ一年のうちに整備したのだろうね。
さて、降りようかね。
阿賀城山頂上頂上下の分岐を北に向かって別のコースで降りるのだよ。
しばらくは風倒木が散乱して、潜ったり、迂回したり、ちょっとうろうろしなきゃならない。
あれぇ、ハングルのビニール札を残してある。
登りでもハングルのビニール札を見たよねぇ。こんなところにも韓国からのツァーが来たのかしら。
去年はこんなものは見当たらなかったよ。
日本のメジャーな山域にはハングルの案内表示が増えたということだが、こんなマイナーなところまで進出するのかい。
韓国のツァー会社もよくまぁこんな山で募集して、それに応募する登山者もいるんだねぇ。
わたしも韓国の山には2回ほど行っております。ブッカンサン、別のコースで、ブッカンサン
河川争奪の現場山の案内はハングル表記が大部分で、英語表記が数例、日本語表記は全然なかったぞ。
どこの国でも、基本的にはお国言葉が第一だが、韓国では外国語表示として日本語を使うのは抵抗があるのだろうね。
私的には親しむのだが、公的には日帝35年、決して許さないから、山の標識に日本語が登場するのはいつになるやら。
傾斜が急になったので、鴨さん、ほーちゃんを抱いて降りて行く
尾根のたわみ、峠の状態のところから谷底へ降りて行く。けっこう急な坂道なんですよ。
馬洗い淵跡、ケルンなどの名所があって、この先には滝の残滓がある。もう水は流れてはいないが、滝だった状態がそのままの姿で残っている。
ぼちぼち傾斜も緩んで、苔むす岩海、久井の岩海を見ているので、ミニ岩海だなぁ、と評価点は高くは採点できない。
北尾根の峠耕作放棄地に出て、軽トラの通れる道になる。北口まで800m、と看板がある。
現役のたんぼの傍を通って、民家の前を通り過ぎる。
簸ノ川ひのかわ橋を渡るとき振り返ると、そう、あれが阿賀城山、城から見える範囲を統治していたとすると、ほぼ千代田町の谷間の範囲だろうね。
千代田町の役場に職員が何人いたか、城の上士・下士・足軽・小者、奥女中・はした女まで数えると、現代の職員数とたいして違わないでしょう。
担税能力、徴税能力、今も昔も、生産の範囲しか消費者は養えないからね。
役場の職員が100人いたとしようか、戦闘員・非戦闘員に分別すると、戦闘員は50人、そんなところかね。
阿賀城の城主は50人の将兵を引き連れて、尼子との合戦に出かけたのだよ。
国道54号線に出て、阿賀城山登山道南口の標識がある。
たんぼまで出たここから駐車場所まではごく近い距離なんだよね。
お疲れ様ぁ、国道とごく近いのに、鹿はいるは、キジは出るは、サワガニもいたんだって、自然そのものだったでしょ。
参考 安芸高田八千代の城址、阿賀城山 2009年5月14日

OS,プラウザの種類、ヴァージョンによっては、JavaScriptErrorと宣告され、表示されない場合があります。
その時は下の文字、数字をクリックしてみてください。
1 2 3 4 5 6 7 8 9





詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。
でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます


前ページへ

あちこちの山へかえる

トップページへかえる

 囲炉裏へリンク