2002年6月15日
しぇるぱぁに、しぇるぱ
山域:滋賀県湖東

繖(きぬがさ)山、巡礼の寺と城址

 

画像をクリックするとそのままそこだけ拡大表示されます
Microsoft Edge のユーザーは、画像・テキストにちょっと触れてください、その効果で、ポップアップページは消えます
Internet Explorer Google Chrome Mozilla Firefox のユーザーは何もしなくてもポップアップページは消えて行きます

 

石寺楽市の前今日は西国巡礼、観音正寺へ行くよ、林道を車でショートカットできるけど、やっぱり歩いて登りたいよね。
名神高速を八日市で降りるよ。見えてくる山が太郎坊の山、その向うに繖山があるんだよ。
太郎坊の山と繖山の間に新幹線が走っている、国道をその新幹線沿いに行くんだよ。
山の頂上近くにシートで包んだ建物が見えるやろ、そこが観音正寺なんだよ。
ほら、標識が出てきた、ここで曲がろう。
ここから石段の参道田んぼの脇に石寺楽市というのがあるやろ、ここから入るんだよ。ここに駐車しとこう。駐車料は300円だとさ。
ここから先に有料の林道があるんだが、それではあまりに楽々巡礼、汗をかいてこそ功徳があるような気がするな、歩いて登ろうぜ。
麓に民家が密集しているけど、道は間を真っ直ぐに縦に伸びているのね。十二丁という石標があるよ、巡礼道という雰囲気ね。
乱れ積みの石段真っ直ぐの道もここまでね、ここからは石段になるのか。ほぉ、ステップがまちまちなのね、石の積み方がずいぶん適当なのね。
鎌倉室町期に佐々木源氏がこの地に台頭したのさ、観音正寺を山から下ろして、その跡に城を築いたんだよ。
佐々木六角は織田信長と戦って、負けて、城を放棄したんだよ、安土城が出来て、ここはその付け城になった。
本堂は再建中関が原合戦の前の頃になって、やっと、寺はもとの山上に戻れたんだとさ。

兵と軍馬が往来できるように、馬に合わせて石段を組んだと言われているよ。馬のステップなんだもの、歩きにくいのは当然だろうね。
ふぅん、そんな歴史があるのか。永い間に石段の土が雨で流されて、石だけが取り残された格好になったのね、ステップを選んで登らなきゃね。
観音寺城本丸跡頭上は梢に覆われて、この時期にはありがたいね、日陰を歩ける。風が流れるとほっとするな。
振り向くと、湖東の平野がよく見える、麦を刈り取ったばかりなのね、切り株を焼くのか田んぼが黒く見えるね。
ここが林道終点、ここからは誰もが平等に歩いて登らなきゃならんのだよ。
やっと着いた、観音正寺の境内の様子は巡礼のページに譲るとして、城址のほうへ向かおうか。
大仏銅像の後ろから行ってもええし、再建中の本堂脇から行ってもええ、道は先へ続いているやろ。
本丸跡で昼食少し行くと、三角点へ誘導する道の分岐、行ってもええが、倒木で通れなかったぜ。室生寺が倒れた台風の時にここでも激しい被害を受けたんだよ。
バリケードのように縦横に乱雑に組み合わさった倒木なので、とても通れなかった、あれからどうなったことだろうね。なにか工事中と見えて、進入禁止と立て札があるね。
また分岐よ、どっちへ行くの。
どっちへ行っても同じところに行くはずだよ。
廃城の石垣廃れた城の中で一番風情があるのは、飛鳥の隣で吉野の手前、えぇと、ほら、何と言ったかな。
高取城です。
あ、びっくりした、こんにちわ、答えを解いてくれてありがとう。
わたしも驚いた、後ろから声がかかるんだもの、さっき寺で見かけたひとね。
ここが本丸跡だよ。高取城よりはるか昔に草に埋もれたんだよね。
石垣の間を安土へほぉ、平らになっている、樹が散らばって繁っていて廃城の雰囲気がひたひたとあるのね。
下の石寺楽市でもらった地図では、巡礼の道のほかに、城への大手道があるようだよ、辿ってみたい道やね。
平地の隅に石垣の破れ目があるやろ、そこから桑実寺、安土城址へと辿る道なんだよ。
車を麓に駐車しているから、そっちへは行けないね、もとの道を戻るしかないな。
参考 ちょこっと、太郎坊、繖山

OS,プラウザの種類、ヴァージョンによっては、JavaScriptErrorと宣告され、表示されない場合があります。
その時は下の文字、数字をクリックしてみてください。
1 2 3 4 5 6 7 8





詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


前ページへ

あちこちの山へかえる

トップページへかえる

 囲炉裏へリンク