2008年5月14日
しぇるぱ単独
山域:島根県大田市

石見銀山、地名が石銀いしがね、仙ノ山

 

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駐車場、石見銀山世界遺産センター中国地蔵を巡拝しているんですがね。大田市内の福城寺に寄って来ました。
福城寺には格別驚かないが、近所に物部神社があります。天理の石上神社と同系統の物部一族の
ゆかりと知って、どうしてこんなところに?
物部守屋と蘇我馬子は争って、物部一族は負けて駆逐されたのですが、こんなところで永らえていたとは始めて知りました。
さて、福城寺・物部神社から大田市街地に近づいて、寸前で反転して南へ向かう。
さすがに世界遺産登録の成果なのか、道路が新しい。ちょっと古い地図では、現実とあまりに大差があって、ここはどこ、の状態になってしまうね。
大森の市街地に入るもんじゃないよ、駐車場所がないよ、こんな情報を得ていたので、離れた場所の駐車場に向かうことにする。
新しく、石見銀山世界遺産センターという施設が出来て、そこに無料の駐車場があって、なんぼでも駐車可能です。
一番奥の駐車場に入れて、センターでイラスト地図をもらう。歩いて行くにはどの道を行けばええですか。
毎度のことなのだが、あっちもあります、こっちからも行けます、いっぱい教えてくれるが、全部は覚えきれないよ。
ええ加減に話を受け流して、大雑把に方向をめぐらして、こっちの方だろう。
観光バスの駐車場所と山ぎわの間に案内の杭が見える。これだ、これだ、銀山公園まで1.3kmと書いてある。
石見銀山公園谷底へ降りて行く道なんだね。階段をとんとんと降りて、砂防ダムか砂溜ダム、こいつが谷をせき止めてそびえている。
まむしに注意、と看板があるが、道の両側は広く刈り込んである、じゅうぶん広幅の歩道なので、そんな心配はしなくてもええよ。
農家が見えてきてここから舗装路、すぐにバス道と合流する。
五百羅漢の羅漢寺の前に出る。観光客がいっぱい集まっているが、羅漢さんはどうでもええな。
次の角に、石見銀山公園と門がある。ここで、町並み地区と銀山地区と、おおよそふたつに分かれるのだそうな。
町並み地区のほうへは向かわない。川上の銀山地区へと進んで行く。
右の道、橋を渡れば銀山地区のハイライトの龍源寺間歩へと進む。左からの道は、仙ノ山から降りてくる林道と繋がっている道なのだ。
寺の山門なんだが、山吹城の城門が転用されている
徳川家康が石見銀山を直轄にして、山吹城を廃止し代官所を設けた。
それで城を壊したということなら、400年以上が経過していることになる。そんな古色があるように見えるかい。古いような、そこまでは無いような、判定が難儀だねぇ。
民家の間に仙ノ山が見える。ふぅむ、これから登るのはあの山なのだな。
ここからは通行止め○○スミダ。××ニダ。
へぇぇ、韓国からの団体だぜ。石見銀山にやってくるとは、ずいぶんと渋好みのツァだねぇ。これも世界遺産登録の効果なんだろうね。
交通止めのバリケードがある。がけ崩れで車両は通行不能なのだそうな。もちろんバスも運行中止、路線はここまで。
道標があって、山吹城跡登山口はここなのだな。まむし注意と案内があるので、ちょっと引いてしまう。
この先は完全に通行止め、車両だけじゃないよ、人も通行止めで、見張りの人を置いて誘導している。
川沿いの歩道を歩きながら車道を観察していたのだが、どこもがけ崩れしたような様子は見えないよ。
しばらく進むと、防護ネットが張ってあって落石防止の工事をしていた。ははぁ、あの交通止めの区間は落石がひんぱんな区間なんだ。
それなら、車両だけじゃない、人が通って落石の直撃を食らうこともじゅうぶんあることだよね。
ここが龍源寺
間歩まぶ、この中を歩いて通過できるのだが、GPSには不向きなのだよ。GPSはトンネル・物陰で人工衛星を見失うと都合が悪い。
引き返して、
佐毘賣山さひめやま神社のほうへ歩いて行こう。
標識は、山神社、山神宮とあって、通常はこんな名前で呼ばれていたのだろうな。
龍源寺間歩
佐毘賣山さひめやま神社は、益田市の比礼振山でも見たことがあるので、なにやら親しみを感じる。
神社の石段の手前で道標がある、出土谷・仙ノ山、神社から行きたかったのだが、道標に従わねば、しぶしぶここで角を曲がる。
脇道を進むが、神社へ誘導する道もある。やっぱり寄り道して神社を見ておきたい。へぇぇ、これが本殿なのかい。
天気はよくないのですよ。降ったり止んだりの定まらない天気で、濡れた草でズボンがビッショリになるのではなかろうか。
どうもそうでもないみたい。草刈りがじゅうぶんで、草に触れずに歩いていけるみたいだよ。
入口には警告の看板がある、
間歩まぶや坑口に近寄らないこと。
間歩まぶとはわたしの世代でも生きてる言葉なんですよ。
間歩まぶとは横穴のこと、縦穴はダメ、それもかなり深くなきゃいけない、奥から水が湧いていればなおよろしい。都会地の防空壕のようなもんですね。
年寄りが普通にマブと呼んでいた。そのまま口伝えしてきたが、次の世代にこの言葉を渡したかというと、かなり怪しい。横穴の奥が潰れて、使えなくなった穴が増えたということもあるのだよ。
斜面一帯は竹の林の中を進む。竹は自然には増えないのだよ。必ず人の手で移してやらないと繁殖しない。昔はこの斜面は人里だった証拠だよ。
佐毘売山神社竹やぶを透かしてみると、石垣で段々が出来ている。ひとの住まい跡なんだろうね。
道の両脇に墓地があって墓石が草に埋もれている。
今までの山腹をジグザグに登る道から、稜線・尾根を進む道に変わった。
稜線にあるこの岩は米カミ岩と言うのだそうな。
なんで名前が米カミかはともかくも、この尾根近辺は岩の露頭だよ。地中深くの核心を探るには露頭が頼りだよね、イケル、ダメ、の判定に使うのだろうか。
尾根から離れて水平道に変化してきた。
このあたりも、自然の平らとは思えない。土木工事で埋めたり切り出したりで均したように見えるぞ。
再び、竹やぶに入って行く。巨大な竹やぶで、歩いても歩いても竹やぶの中だよ。
これはわたしの仮説だが、<竹は人が栽培したものだ>理論によると、人家があった痕跡・証拠なんだよね。
竹やぶを抜けて、ぽっかりと空閑地に出てきた。井戸の石組みもあるし、池を掘って石垣で補強してある。説明の看板はないが、ここは集落の跡だよ。
空閑地を抜けて、次の草原に道標がある石銀いしがね集落跡、石銀いしがね千畳敷、佐毘賣山さひめやま神社。
石銀集落跡ここから降りて、石銀集落跡へ行ってみよう。土木工事で造成して平らにしてある。住居跡なんだそうな。
住まいだったり、銀精錬の職場だったり、職住混在の街だったのだそうな。
最盛期には、石見銀山の人口は20万人だったのだそうな。
佐毘賣山さひめやま神社の斜面の石垣、ここの平面、山のあちこちに住まいして、20万人の話半分としても、大勢の人間がこんな住まいをしていたのだよなぁ。
そうそう、
石銀いしがねとは地名なのだそうな。このあたり一帯、銀の石を掘る人が住むから地名が石銀いしがね、明快な命名だよねぇ。
石銀いしがね千畳敷はここより高い位置にあるから頂上に近いだろう。そっちへ行ってみよう。
説明書きによると、ここには銀の精錬所があったのだそうな。
間歩まぶもあり、ちょっと下に大きな間歩まぶの坑口が開いている。
どうなんだろう、精錬所は
間歩まぶそれぞれにあったのだろうか。腕のええ職人のところへ、あちこちの間歩まぶから銀鉱石を運んだのだろうか。
鉱石は僅かで大部分がガラ石だもの、輸送の効率からすると、
間歩まぶそれぞれで精錬したと考えるほうがムダが少ないよね。
間歩まぶそれぞれが請け負いだったちゅうことは、掘って運び出して精錬して銀塊にするまでが一貫した工程だったということだろうな。
石銀千畳敷ここから先には案内も何もないが、竹やぶの竹に赤テープ白テープが結んである。尾根へ登るコースを誘導している。
竹やぶが密集している中を切り開きの道が伸びている。尾根をたどりながら、谷の頭を踏んで別の尾根に向かっていると判る。大きく湾曲しながら進むのですよ。
三角点がある。何の標示もないが、ここが仙ノ山の頂上なんですよ。展望は?密林の中だ、なんにも見えやしませんよ。
三角点と三角点を結ぶ、観測用の切り開き、この見通しのラインの果てに見えるのが矢滝城山ではなかろうか。他の切り開きは潰れて見えやしない。
さぁて、戻ろうか。
竹やぶの道を引き返して千畳敷まで戻ったぞ。
仙ノ山への道と反対方向に道が見える。
そっちへ進めば、道標があって、本谷・大久保
間歩まぶ、於紅ヶ谷、於紅ヶ谷は谷底へ向かうので論外、このまま砂利道の林道を進んで行く
すぐに、本谷・大久保
間歩まぶへの分岐にさしかかる。
ここで反省、この林道を歩いて降りたのだが、展望はないのに長い道、ここで大久保間歩へ道を変えていればもっと面白かったかもしれない。
仙ノ山三角点林道の両脇は樹が繁って、ほとんど展望がないのですよ。
わずかに、切れ目があって正面に三瓶山が見える。他では見えないから、ここで存分に堪能してね。
足許の梢の切れ目から駐車場が見える。あそこから出発したんだよ。
曲がり角に鉄パイプで櫓を組んである。展望台なんだね。この上に登っても、降りて地面の上からも、そんなに展望は違わなかった。
何よりも目を惹くのは要害山・山吹城跡、背後の鋭い稜線の山が高山・馬路高山、谷底を見れば、大森の町並み地区、ここが林道の唯一のハイライトだね。
地図を見てほしいのだが、出発点近くと仙ノ山林道との間に道がある。帰りはショートカットでこの道を利用するつもりでした。
その山道の分岐には道標もないし、進めるのか不通なのかが不明で、歩くのを止めたのですよ。
麓側には一軒家があって、そこには千人壷と道標があったのを覚えています。
あとで調べたところでは、千人壷とは、罪人などを処刑のあと、穴に放り込んだ、そんな場所なんだそうです。
観光としてはマイナス材料なので、パンフレットから削除、石見銀山資料館からも撤去、非公開としたのだそうです。
結果論、そんな気味の悪いところなら行かなくてよかった。林道をこのまま歩いて行こう。
要害山・山吹城址どんどん歩いて、もとの舗装路、観光の道まで戻ってきた。
五百羅漢から一軒家の前まで戻る。ここにある千人壷の道標はいずれ撤去されるだろうな。千人壷は闇の歴史として覆い隠されてしまうだろう。
一軒家の前から仙ノ山が見える。
そりゃまぁ、仙ノ山は地下には銀が埋まっていて石見銀山の核心だし、歴史を体感するにはええのだが、登ってみて面白い山とは言えないね。
小ぶりではあるが、要害山・山吹城址のほうが展望も広がるし、そっちへ登るのをお勧めするね。

参考
2004年10月1日 大江高山、石見銀山周辺の山
2008年5月6日  石見銀山、防衛拠点の矢滝城山

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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