2008年3月12日
しぇるぱ単独
山域:山口県山口市

山口の秋穂あいお往還、魚切山うおきりやま、狐ヶ峰

 

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動物保護センターの下の道端さっきまで秋穂あいお長徳寺にいたんですよ。今は合併して山口市だが、合併以前は秋穂あいお町でした。
中国地蔵の札所を巡って、近所の山に登っております。本来一番近いのは、陶ヶ岳、火ノ山、亀山の山列、これは前に登っているから、ほかにどこかええ山はないだろうか。
あった、小郡の境界近くに良さそうな山があるじゃないか。
長徳寺から高速道路の山口南インターまで引き返して、国道2号線の道は、高架の上の自動車専用道路と下の道と、ふたつあるんですよ。
上を行ったり下を戻ったり、県道の脇道を探すのに右往左往したもんだよ。上の道で間違えると、遠くまで抜け出す出口がないから困ったもんだね。
走っているうち、動物愛護センターの看板がみつかった、これだ、これだ、この案内に従って行けばええ。
新幹線のガードを潜って、動物愛護センターに到着、センターの下の道際に止めればええ。道は行き止まりだから、だれにも迷惑はかけない、堂々と止めればええさ。
舗装路の向こうから山道が始まる。真っ直ぐ行けば陶峠、左に曲がれば馬頭観音、ここは陶峠への道を行くことにしよう。
陶峠街道の一里塚が残っている。街道の松が一里塚の名残りなのはよくあることだが、石組みの一里塚は全国でも珍しいものと看板にある。
この街道は秋穂あいお往還、秋穂の港から山口へ物資を運んだものなのだそうな。
道は古道としてよく名残りを留めている、馬がすれちがうにはもうちょっと道幅が欲しいところだね。
陶峠まで直登するのではなく、折れたり曲がったりして無理のない街道に仕立ててあるよ。
別の往還を思い出すのだが、防府から山口、萩までの道が萩往還で、最重要街道だったのですよ。
その防府へ近づくとね、毛利家本邸と案内標識がある。はてねえ、毛利の殿さんのお邸は萩なのかい、山口なのかい、防府なのかい。
そんなことを思いながら、ここは
秋穂あいお往還、陶峠まで登ってきました。
陶の所在はこの峠の南、大内氏にクーデターを起こした陶晴賢の本貫が陶の地なんですよ。陶の地頭職として台頭して、大内氏の重鎮にまでなったんだよ。
魚切山陶峠の道は食い違い四差路、手前に馬頭観音への道を示して、奥で魚切山への道を示している。
まず、魚切山へ向かおうじゃないか。道はええ道で、草刈り枝切りもしてあるし、踏み固め土を寄せて、道は土塁のように盛り上がっている
このあたりの樹はタブノキじゃなかろうか。幹、葉っぱの具合、密集して純林を形成しているのが判断の決め手になる。
タブノキがいったん繁って樹冠を支配すると、ほかの木は日光が受けられなかったり芽生えが出なくなったりで駆逐されてしまうのだよ。
梢の隙間から頂上が見える。富士山地形の三角錐の山なんですよ。登れば登るほど傾斜が増してくる感じなんだね。
ぐいぐいぐいと踏み締めて、頂上のあごが見えてきた。
さぁ、登ったぞ。魚切山の頂上は真っ平らの広場で、周囲がよく見渡せる。
真向かいに狐ヶ峰反転すると黒河内山、南の谷の先に陶の集落が見える。北の谷の先には山口市街、高速道路中国道が山裾に見える。
狐ヶ峰分岐北に東鳳翻山、南に陶ヶ岳山列が見えると期待していたが、あきません、黄砂にまみれて遠くは全然見えない。
中国の当局者が、黄砂は中国に起因するというのは科学的でない、モンゴルかもしれない、韓国・日本の砂塵かもしれない、とコメントしよった。
毒入りギョウザは中国に原因があるのではない、日本に起因するものだ、と責任転嫁するのと同質の、奇妙な主張だよね。
中国奥地の気圧配置が低気圧から高気圧に遷移するまで、もう、二、三ヶ月、黄砂で悩むことが続くのですよ。
さぁ、降りましょうか。
登るときには傾斜はそんなに苦にならないものだが、降りるときは、あまりの段差にびっくりするね。
膝を曲げて、伸ばした足をどすんどすんと踏み締めながら降りて行くのだが、あまり体重負荷を掛けては膝に悪いぞ。
峠に下りて、反対側に馬頭観音の標識に従って登って行く。
稜線から狐ヶ峰あれ、こっちの道は手入れが悪いな、そう思ったが、手入れが悪いのは取り付き部分だけ、途中からちゃんと草刈りして道の幅を確保してあります。
最初は急登だが、ある程度登ってしまえば水平な道に変わる。
羊歯を鎌で払ってあって、刈られた羊歯が道に棄てられてある。古い羊歯が枯れるとチクチク刺さって痛いのだ。刈り払ってくれると、そりゃぁ有難いよ。
稜線の道は大きなコブを越えて行く。
最初は、振り返ると魚切山の全身が見えていたのですよ。今度はコブが塞いで魚切山の半身しか見えなくなった。
狐ヶ峰登山口と看板があるが、どこを見てもそんな分岐はありはしないぞ。偽情報ということで無視しよう。
今度は確かな情報、狐ヶ峰への道が分岐していて、はっきりとした道だよ。
尾根通しに行く道だろう、谷へ降りることはないだろう、と推量して進んだが、その通り、楽ぅな道でした。
谷越しに魚切山を盛り上がった稜線から狐ヶ峰が見通せる。小判型に扁平な峰なんだね。頂上は奥の峰だろうと推測して進んで行く。
谷向こうに魚切山がずっと見えるのだが、どこから見ても三角錐の形を維持したままだよ。なかなかこんな美しい山はあるもんじゃないよ。
あのねぇ、わたしはね、山などの無機物には「美しい」という表現は使えても、人間相手には「美しい」とはよう言えん。
なんぼ相手が美人でも、「綺麗だね」「かわいいね」こうは言えても、「きみは美しい」とはよう言わん。歯が浮いてしまうんですよ。這って逃げたくなる。
ところがね、九州人は日常的に「美しい」とくちに出来るのです。美しいと真っ直ぐ言っているのを横で聞いてて、タジタジ唖然としたことがあるなぁ。
「美しい」のカバーする範囲・コンテキストがわたしのものとちょっと差があるんです。あるいは、わたしのほうが世間標準より許容範囲が狭いのかな。
で、お話し戻って、魚切山は美しい。この場合は、何の恥じらいも照れもなく、「美しい」と言い切れます。
狐ヶ峰の前の山を通過して、後ろの山に取り掛かる。ここの道も問題なく整備されております。
狐ヶ峰三角点さぁ、ここが狐ヶ峰、三角点もある。魚切山からはどっちが高いか判断がつかなかったが、ここから見ると、明らかに魚切山のほうが高度が高い
見えるのは、魚切山から山口市街の範囲、旧小郡町との境界にあるのだが、そっちの方向は木々が邪魔して見えません。
さて、引き返して稜線上の分岐、引き続いて馬頭観音のほうへ向かって進みます。
稜線から植林の中のコルに下りて、馬頭観音を指す標識に従って谷を降りて行くことになる。
なるほどぉ、岩にもたれて石像があるね。馬頭観音というからには頭は馬の姿だろうと思ったが、通常の姿だった。
光背のように見えるのは馬の口取り縄なんだろうね、手にしているのは口元の
くつわなんだろうか。
牛馬の供養に馬頭観音、ごく普通にどこにでもある。たいがい、道端にあるもんだが、こんな谷の中腹で祭るとは、もひとつ意図が判らない。
山伏のキャンペーンだったら判らなくもない。岩場で霊感の漂う場所には役行者の像があるのが通常なんだが、お客の要望で馬頭観音を祭った、こんなことかもしれない。
馬頭観音この下の道がねぇ、道といえば道、だれもが自由自在に歩いているので決まった踏み跡がないのですよ。
自由に歩いても、谷の外にはみ出す恐れがない、自ずと反転して谷の中央に戻って行っているんですよ。
馬頭観音まであと250メートル、という立て札があるが、この250メートル、自由に好きなように歩けばよろしい。
この下では、涸れ谷と道とが重なりあっているところを歩いている。ガレ石を踏みながら歩いて行くんだよ。
谷の流れを渡る。涸れ谷の本身を歩いているつもりだったが、水の流れがあって、中心を避けたところを流れていたのだ。
ここからはちゃんとした山道、ちゃんと草刈りを施した幅広の道です。
谷が開けてきて、陶峠の方向に三角錐の山が見える。魚切山です。ここから見ても三角錐、反対側の黒河内山の方向からも見てみたいもんだね。
「美しい」山だよね。
動物保護センターぱっと視野がひろがって、動物愛護センターの真上に出て来た。
実は、動物愛護センターを誤解していました。動物の火葬場だと思い込んでいました。違うがな、捨て犬や捨て猫などを保護する施設だった。
動物保護センターの境界に沿って歩道がある。出たところが一里塚のところ、馬頭観音の説明の立て札がある。
山で使っていた馬が事故で死んだ、馬の安全を祈願して建立したもの、とある。
朝、ここに止めたときには数台の自動車があったが、全部帰って、入れ替わりに他の1台が止まっている。この山域は人気なんだねぇ。
さぁ、帰ろうか。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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