瀬戸内観音霊場

第29番 今高野山龍華寺

広島県世羅町 平成21年9月13日巡拝

 

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門前町の朱の橋 龍華寺の石段 龍華寺の大師堂 龍華寺の本堂(観音堂)
瀬戸内観音を追っているのだが、ここが瀬戸内とは言い難いほど広島県の中ほどまで来てしまった。
世羅郡全部が合併して世羅町となるのだが、その中心地の甲山に龍華寺はあります。
ここ太田の庄は、平安時代に地元の豪族が荘園化し、平家に接収され、後白河院に寄贈されました。
後白河院は、平家の菩提を弔って高野山に寄進され、その後、室町時代、応仁の乱の混乱のころまで、高野山の荘園経営が続いていました。
荘園経営の拠点に龍華寺を置いた、信仰教化よりも、代官所(マネジメント)の意味合いの強い寺だったようです。
最盛期には、七堂十二院の塔頭があったそうだが、今は、龍華寺のほかにはふたつの塔頭が残るだけです。
廃れた塔頭跡に資料館があるのは納得できるが、せら温泉と名乗って大衆演劇を演じる塔頭跡もあるし、うどんと丼もの程度の食堂も塔頭跡にあるのだよ。
参道に沿って塔頭が並ぶ、一番奥の龍華寺も同じように参道に横向きの位置です。参道の突き当りには神社がある。
構成が変だと思いませんか。
突き当りには鳥居があって朱の太鼓橋がある。荘園の経営は神社が担当していたのかしら。
それがほんとだとしたら
神社の別当寺として神社の経営を乗っ取ってしまった例はいくつもあります。代表的なのが、厳島神社への大聖院。
たいていは寺院への地主神として境内にひっそりとあるもんだが、小が大を飲み込んだ例をみたことがない。
それがほんとだとしたら、たいしたもんです。
参考 備後西国 第11番
寺に参ったあとは、山登りしております。今回は自転車でまわりました。「広島中部の甲山・上下を往復
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それぞれの寺の住所、広域地図(by禅昌寺)