2009年1月25日
県北山の会19名
山域:広島県江田島市

江田島市、西能美島の砲台山

 

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美能集落から歩き始める雪の予報が出ていてやきもきしていたんですよ。
瀬戸内海沿岸の山に行くんだけれど、雪が積もったら、我が家から街道まで出られるかしら。
さいわい、わずかな積雪で、問題なく集合場所まで到着しました。おはようございまぁす。
今日は、県北山の会の例会で、行く先は江田島市、西能美島の砲台山、こんな名前の山は始めて聞いたぞ。
高速道路を走って、広島西風新都インター、ここから広島高速4号線で西風トンネルを抜けて市内中央に直接出るのだ。
この道は自分で走った経験がないのですよ。
正直にいうと、バスでしか通ったことがない、道順を良く見てよぅく覚えておこう。
道はどんどん宇品港へ、あれれ、覚えてる道と違う、何十年ぶりに宇品港に向かうのだもの、道が新しくなっても不思議はないよね。
林道と歩道の分岐島しょ部フェリー乗り場というのが集約されている。そこの三高行きのフェリーに乗るのだそうな。
バスに乗ったままフェリーに乗り込んで、そこで降りて客室に入る、へぇぇ、フェリー甲板に残っていてはいけないのだそうな。
出航すれば正面に似島が大きくそびえている、似島の西側に航路を取って、宮島の弥山が見えている。
本土側から見る弥山はお馴染みだが、海から弥山を見たのは始めてだよ。
南に直進して、三高の港に到着する
バスに乗り込んで、町の様子を見ると、JA呉の支所がある、広島南税務署の垂れ幕がある。
ここ江田島市は、呉と広島と、両方の影響を受けていて、ストロー効果の負の影響がもろに出ているのじゃないのかい。
江田島町、大柿町、能美町、沖見町(江田島・東能美島・西能美島)が合併して、名前は江田島市、市役所は旧能美町、さぞかし大揉めに揉めて結着が着いたのだろうね。
砲台地下壕海を隔ててはいるが、大都市のビルが見えているのだもの、大型消費財は地元では買わないだろうさ。
市の人口が3万人を切っている、この先、自立してやっていけるか心配なものがありますねぇ。
港から西へバスは向かって、次の漁港、美能、ここで市営住宅の駐車場にバスを止める。
さぁ、ここから歩き始めるのだよ。林道砲台山線とあって、林道とはいっても舗装路です。
ところどころ雪がうっすらと道に積もっている。雪が融けて凍って、そぉっと靴を置かないと滑ってしまう。
普段は雪の降らない瀬戸内海の道だもの、島の住民は冬タイヤなど用意してはいないことだと思うよ。
車を走らせるひとはよっぽど注意しなきゃね。
道は大きく右へ左へ切り返しながら登って行く、衣服調整のため始めての休憩、出発地の漁港の集落が眼下に見える。
北部砲台砲座跡岬の向こうには宮島が見える。弥山と岩舟岳はわかる、真ん中の峰はなんという名前なんだろう。
広島の市街が間近に見える。近く見えすぎることが問題だよね。
今までは北側の山腹を歩いていたが、南側の山腹に道が移ってきた。
島が見えるのだが、心当たりのない島なので、名前を探る気にもなれない。
本土側の海岸線が見えるが、大竹から岩国への工業地帯、煙突からの水蒸気を眺めている。
行く手に山頂が見えてくる。頂上に建物が見えるぞ。道があんなに高い位置で走っているぞ。あの道を行くのだろうか。
そうではないのです。
林道の舗装路は南の山腹を進んで行く、ここから道は分かれて、歩道があって、北の山腹を進んで行くのだ。
南部砲台眼下に三高の港の集落が見える。海は牡蠣イカダで覆われている、ちょうど、フェリーが入港してくるところ、似島の向こうに広島が見える。
煉瓦で組んだ地下壕が出現した。それぞれの部屋の用途は何だろうか。
振り返れば、石造りの兵舎が残っている。それほどの兵員を収容できるとは思えないね。小隊長と部下たち、そんなもんだろう。
コース・リーダーが下調べして学習したのをバスの中で伝えてくれた。詳しすぎ、要約するとこういうこと。
この砲台は、日清戦争後、日露戦争に備えて、広島大本営の防衛のため建設されたのだそうな。
厳島海峡を通る敵艦に砲撃をくわえて撃沈させるためのものなのだそうな。
足許を見るとセメントを張ってある。明治の当時、セメントはあったんでしょうかね。
三角点からの展望無言。そりゃそうだね、このセメント工事は明治のものか、戦前の昭和のものか、そんなことは判らないものね。
地下壕から石段を登って頂上部に進む。砲台の台座が残っている。
旋回する砲座ターレットは撤去されている。旋回する軸の中心が残っていて、円周運動して敵艦に照準を合わせたのだと判る。
砲座に続いて、地下壕と意味不明の円が現れる。それぞれが砲座だとしたら、近すぎて砲身がぶつかるだろうにね。
まるで公園の花壇のように見えるが、まさか、そんなゆるいことではないだろう。
地下壕には斜めに伝声管のような穴が開いていて、お〜い、お〜い、ほんまだ、地表と地下と互いに声が伝えられる。
塹壕のような掘り込みの通路が繋がっていて、地下壕はお互いに行き来できる。
ここで食事にしましょうか。駐車場の広場に行きましょうやぁ。
歩道は林道と合流食事がすんだら、南部砲台へ行くのだそうな。
駐車場から林道が降りて行く、すぐに歩道と分かれて登って行く。
通常の遊歩道、つまり、昔の連絡通路があるのだが、ここはハイライト部分を見せてやろうと、道なき道へ引っ張って行く。砲台の天頂部なんだね。
ここには、北部砲台のように明らかな砲座は見当たらない。
それでも、塹壕のような連絡通路は地下壕を結んで延びている。
この砲台は、帝国陸軍のものだったんでしょうかね、帝国海軍だったんでしょうかね。
そりゃぁ、陸上じゃもん、陸軍じゃろう。
そうですか、と受け流したが、内緒だけど、それは違うと思うよ。
バスが待っている前に一緒に登った鈴ヶ峰を思い出してちょうだい、海軍省の石標があったよね。
周防大島の嘉納山、ここにも砲台跡があった。長門市青海島の高山出雲日御碕の高尾山、ここでも砲台跡をみたことがある。
海岸線を護るのは海軍の役割らしいのですよ。
砲台はこれまで、さて、歩いて行こうで。
アズマヤがあって、ここに三角点がある。401.8メートル。
アズマヤがあるのは、北側と南側、両方に展望が効くから、ここは狭い稜線の上だから展望はええよ。
稜線沿いに降り始めて、進行方向にコブがあるが、そこは登らない、山腹を鉢巻に巻いてやり過ごして進んで行く。
道がええなぁ、伐採して草を刈ってあって歩き易いなぁ。瀬戸内流域森林整備センターの仕事なんだそうな。
三高港出航間もなく林道と合流して舗装路を歩くことになる。
舗装路は三叉路となり、北に向かって三高の港を目指して進む。
舗装路をたどりながら稜線を見上げると、電線が連なっている、そうか、あの稜線を歩いたのか、すると、砲台山はその先なのか。
ダムが見えて来て、そこにバスが止まって待ってくれている。歩くのはここまで、あとはバスに乗ったまま帰ればええのだ。
フェリーは宇品港に戻ってくる
バスでありがたいのは居眠りができること、自分で運転すると、眠気と戦いながらハンドルを持たなきゃならない。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。
でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます


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