2008年2月11日
しぇるぱ単独
山域:山口県周防大島町

周防大島、雪の文珠山・嘉納山

 

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駐車場から石段の道へ中国地蔵尊を巡拝しているのですよ。さっきまで周防大島の久屋寺におりました。
ほんとは屋代島という名前が正しいのです。周防大島は別名なのだが、周防大島のほうが解り易いので、今では誰もがそう呼んでいます。
経路は、山陽道の玖珂インターを降りて、下の道を真っ直ぐに周防大島へ。玖珂インター付近でコンビニをやりすごしたんですよ。
それからは、行けども行けどもコンビニが出てこない。大島大橋の手前に土産センターがある。ここで弁当を購入、貝の炊き込みご飯でうまかった。
ほんとは島内にもコンビにはあった。そこで買うよりこっちのほうが風味があった、当たりの買い物でした。
大島大橋を渡るとき下を見ると、海面に渦があちこちで回っています。ほぉぉ、鳴門の渦と同じじゃがな。
橋を渡ると、島の東へ。文珠堂の標識を確認してのち、そのまま久屋寺へ向かったのだが、大橋を見ながら引き返して、文珠堂への標識に従って山へ向かう。
文珠堂島の道だもの、狭い道はしょうがない。それ以上に恐ろしいのは道が急なんですよ。最低速で引っ張ってエンジントルクの粘りを引き出す。
あおむけの姿勢のまま、おぅい、どこまで登るんだい。
やっと着いた。ここに駐車場がある。ここに止めることにしよう。
道は五叉路、来た道、駐車場への道、上への道、谷沿いの林道、それに加えて、石段の道がある。これは歩きの道なのだ。当然、歩きの石段の道を進む。
ほどなく石段はおしまい、石柱がお出迎え、大智徳勇健、化度無量衆、あとで調べると、妙法蓮華経 提婆達多品第十二、法華経のフレーズの一部分なのだった。
ほんとはここまで車を乗り入れることができるのだ。けっこう何台も止まっているが、雪でガリガリの斜面を進むのも全然苦にしない人々なのだろうね。
お堂があって、大同元年弘法大師開刹、日本三文珠周防龍岩寺、と看板がある。
文珠山ここのは、文殊と言わずに文珠なのだよ。あえて異を唱えたのか、書き損ねたのか、どっちだろうかと首を傾げるね。
山肌に石段が上へ伸びている。巨大な岩で行止りのようだ。龍岩寺の謂われはここから来ているのだろうね。
この先の道を悩んだのですよ。お堂の傍の舗装路を進むべきか、岩への石段を登るべきか、石段が汚れていないのでこっちではないと判断して舗装路を進む。
山鼻を曲がるとすぐに分岐、舗装路と別れて山道がある
おや、道に雪が積もっている。へぇぇ、瀬戸内海の島で雪道を歩くとは思わなかったな。
道は折れて、何度か谷の流れと出会う。谷の水をじかに汲む場所もあるし、竹の樋で手水の岩窪に水を引き込んでいるのもある。
たくさんのひとが雪を踏み締めるので、道はツルツルテカテカ、爪先や踵を置いたのでは滑ってしまう。アイゼンが欲しいよね。
文珠山から柳井市街をそぉっとそぉっと足の裏全体を置いて歩かなきゃならない。言い換えると、ゆっくりとしか歩けない、じれったい登り道を進んでいるんですよ。
道はどうやら頂上近く、ここで道は重機のキャタピラで蹂躙されて雪と泥が混じりあってえらいことになっているよ。
重機が通れない階段を踏んで頂上に出た、ここが文珠山、へぇぇ、文殊山とは言わないのだ。
文珠の文字には譲れないこだわりがあるのだろうね。わかりました、ここは文珠山。
峰続きに通信塔があってそこが嘉納山、今日はそこまで行くのだよ。
振り返ると大橋が見えて、大橋の背後に琴石山が尖っている。琴石山にも登ったことがある、山頂から周防大島を見ているから、そのページも見て行ってちょうだい。
山頂直下で無線設備の工事をしているのだ。
文珠山南麓の四つ角その工事で、重機のキャタピラ、運搬車のキャタピラ、踏んで混ぜて踏んで混ぜて、泥濘が凄いよ、足の踏み場がないっちゅうのはこのことだよ。
文珠山の背後に四つ辻がある。ここで泥の道はおしまいとなる。ここはまっすぐ、雪の山道に入って行く。
なんでだろ、文珠山は北側の斜面を登ったのに、こっちのほうが雪が深いぜ。こっちは南へ伸びる稜線なのにね。
外敵進入防止の土塁、こんな看板がある。表現をぼかしてあるが、外敵とは徳川幕府のことを指しているんですよ。
幕末に長州征伐があった、これは幕府側の立場。長州側は四境戦争と名付けたのだよ。
ひとつの藩で、幕府全部、藩の境界全部に戦いを挑んだのだから相当なもんだ。しかも勝ったのだから凄いよ。幕府の権威は地に落ちたよね。
かたっぽは第二次湾岸戦争と言い、もうかたっぽはジハードと称して戦う。こういう例もあったよね。立場が違えば戦争の名前も違うのだよ。
嘉納山への省エネの道ずっと稜線に土塁を築いて防衛線を張った、ということだが、大急ぎで土塁を築こうにも工事は間に合わないだろう。もともとの土塁を補強したのがほんとだろうね。
山の中に土塁を他でも見たことがある。大土山で延々と続く土塁をたどって首を傾げたことがあります、何の用途だろ、こんな過重な労働に見合う成果はなんだろ。
万里の長城の小型なんだろうなぁ、とそう思うことにしようか。
土塁の写真は撮ったが、もひとつ見栄えが悪いので、引っ込めるね。この写真を見たら、なんと貧しい防衛線と悪い印象を与えかねないのでね。
見晴らししが効く箇所があった。稜線のたわみ、中間の峰、その先に通信塔が見える、そこまで行くのだ。
嘉納山までの道は上手に出来ていて、途中の峰・こぶの横を迂回して、頂上をやり過ごしながら進むのだよ。
嘉納山タワからタワまで稜線沿いに進まず山腹を進む道を京都北山ではユリ道という、このユリ道という表現、京都ローカルのものなんだね。
このような道作りはどこにでもあるが、格別に名前を付けてるところはない。唯一、ユリ道という表現があるが、ローカルに留まっている。
二等三角点の標示がある。三角点の標石は雪に埋もれてしまっている。
頂上はこの先、もうちょっと進もう。はい、ここが嘉納山の頂上。
コンクリートの円座の跡が見えるが、砲台の跡なのだそうな。道の先に通信塔が見える。
振り返ると、文珠山が見えている。文珠山の左は柳井の市街、右に眼を移すと埋立地が海に突き出ている。岩国の米軍基地の飛行場だね。
宮島と対岸の山々が見える。鈴ヶ峰のコースから周防大島を眺めたことがあるが、逆から見通しても霞んで判然としないね。
嘉納山から文珠山を麓を見ると、久賀の集落が見えている。集落の中に久屋寺があって、先ほど、そこを訪ねたのだよ。
源明山と嵩山への道があるが、そっちへは行かない。今日はこのまま引き返そう。
文珠山の分岐で、ちょっと待て、ここは考えものだよ。
キャタピラで捏ねられた泥まみれの道は嫌だね。下り斜面はさぞかし氷結した雪で滑ることだろうな。止めた、あの道をもう一度歩くのは嫌なこった。
林道がここから延びているんですよ。なんぼくねくねと長くても、こっちの道を歩いたほうがええ。
たいていは、林道より山道を選ぶもんだが、今日ばかりは逆の選択のほうがええ。
ブルで雪を押して道を開いてある。工事の資材搬入に雪の道を開けなきゃならないからね。雪がないから大股にすたすた歩けるのがええぞ。
林道を行く林道は山腹に沿って、はるか遠くを迂回している。それでも尾根に沿って反転して、朝のスタート地点へ戻ってきている。
一箇所、林道が分岐している箇所があった。思い返すと、その分岐から逸れて行けば文珠堂の前へ行く道だったのではなかろうか。
そのまま林道を進んで行くと、道の上に文珠堂の裏側が見える。
間もなく駐車場の分岐交差点に到着、滑る山道を歩くより、ええ選択をしたもんだなと満足感で車に戻ったもんだよ。
下りの道は急な坂道だもの、そろりそろりと最低速で降りて行こうぜ。

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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