2010年6月23日
しぇるぱ単独
山域:広島県安芸高田市

天ノ岩座あめのいわくら、大土山5

 

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論山堤今日は、ほんとは別の山に登る予定だったのです。
安芸高田市の吉田と向原の境界に赤柴山というのがあります。行っては見たが、アプローチの林道があまりにも草深い。
入口でこれほどなら、奥はどうなるのだろう、恐れをなしてしまいました。やめじゃ、やめじゃぁ。
この近くで、道を覚えていて登れる山というと、大土山が浮かんでくるよねぇ。
よぅし、転進、大土山目指して進んで行こう。
林道に入ると、道の保守作業の跡が見える。道に突き出した樹木の伐採作業を進めているのだね。
論山堤からこれから登る稜線が見えている。
山からの水の水利権をめぐって、北の村と南の村が激しい論戦をした、論山堤の説明看板にこう書いてあります。
それは違うでしょう。水利権は自然条件だから争点にはならない。南に落ちる水を北に落とすことはできないでしょう。
憩いの森キャンプ場文字は堤だが、堤に捉われてはいけない、争いの対象は山だと思うよ。薪や草刈の境界争いならありうることだ。
勝手に伐採した、境界を侵した、取った、盗んだ、喧嘩になった、訴訟になった、こういうことでしょうね。
現代語での「訴えてやる」、これを、広島弁の古い言い方では、「ねごうちゃる」と言います。
「願うちゃる」、現代語に翻訳すると「おおそれながら、お願いします」、喧嘩で捨て台詞に使う言葉です。
滅多に訴訟沙汰にはならないものですが、この場合、とことん「願うちゃった」んでしょうね。
代官所へ訴えたのか、広島の藩庁へ訴えたのか、論山堤の名前が残っているのをみると、歴史に残る大論争だったとみえる。
とりあえずはここまで、あとで、この問題、もうちょっと掘り下げますね。
憩いの森のキャンプサイトで車を止めて、ここから山道は始まるのですよ。
保守作業のトラックがやって来て、おじいさんが訴える。
休憩舎帰りのことじゃがね、道に張り出しとる樹を切っとるけぇの。作業中は幹が道に倒れて邪魔をするけ、ちょっと待ってつかぁさいや。
昨日、酷いことを言うやつがおってのぅ。邪魔するくらいなら通行止めの標識を出しとけぇや。
わしらぁ、ひとの為になる、思うてやっとるんでぇ。なんちゅう言い草じゃぁ、と大喧嘩よ。
そりゃぁ、そいつが悪い。自分の都合ばっかり言い張るバカタレもおるけぇね。気の毒なことでしたね。
あのおじいさん、ここへ来る度、よく出会うよ。大土山憩いの森の管理人をしているひとだね。
登山道に入って、道端の草は刈ってある。これもあのおじいさんの世話によるものなんだよ。
ここからは社有林と案内がある。王子製紙と看板にあるが、王子製紙は今も存在していたかしら。
会社の合併が多くて、名前が変わることがあるから、どんなもんだろうね。
山道に平行して土塁が築いてある。この土塁が延々と長いのですよ。
徒歩の参道と車の参道さっき中断した論山堤の続きだがね、この土塁は境界を明確にするシルシだと思うよ。
旧向原町と旧甲田町の境界に沿って、土塁が延々と続いているのですよ。
訴訟でラチが明かないから、はっきりと目に見えるように土塁を築いて境界を明らかにしたのだと思うよ。
大土山の頂上まで、3キロ、4キロにわたって、延々と土塁が続いている、その労力たるや膨大なものがある。
それでも、境界を築いて、結界を示して、侵入を阻止する強い意思を示したのだろうね。
大土山の北側は、国土地理院の地図では、旧甲田町と旧三和町の間の境界は未確定なんですよ。
ここの境界は曖昧でも問題はなかったのです。論争の対象にはならなかった。
ということは、土塁を築いたのは旧向原町側だ。旧甲田町からの侵入を旧向原町が防いだのだ。
あんたねぇ、文献によるのではなく、現場を見ただけで、いかにもありそうな断定をする。講釈師見てきたような嘘をいい、落語のまくらでよく聞くフレーズだね。
岩座嘘ではないと思うよ。現場を観察し、その意図を探れば、事情と経過はわたしの推定で合っていると思うよ。
道の脇に建物がある。休憩舎なのか展望台なのか、木が生長して埋もれてすっかりその役目役目を失ってしまったんだね。
土塁の道と普通の道と、二手に分かれている。土塁の道は草に埋もれている。
2004年、始めて大土山に登った時、土塁の道を歩いたのですよ。
2006年、次にこの道を歩いたら、土塁の道を行くより普通の道のほうへ歩くのが当たり前になっていた。
今は、わざわざ土塁の道を選ぶのは不自然な姿になっている。
道は鞍部に出た。
右を見ても、左を見ても、鳥居が見えている。金属の鳥居樹の鳥居の中間の鞍部に出てきたのだ。
ここは高天原で、
天ノ岩座あめのいわくら神宮が鎮座しているのだ。
登山道2004年には、参道は一本の道だったが、重機で開いた二本目の道があって、車で登れるようになっている。
車道は鳥居の前まで続いていて、そこで終わり。
2004年、2006年には岩のひとつひとつに名前があって、神が鎮座していたのに、今は名札が取り外してある。
古い写真から名前を読み出してみると
天照皇大御神、猿田彦大神、
天宇受賣大神あめのうずめのみこと八意思兼大神あめのやごころおもいかねのみこと、溝口似郎大人神、そのほかいろいろ。
最初から三つ目までは解るでしょ、有名だもの。
八意思兼大神とは、天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。知恵の神ともされる。
社務所か?なじみのある神の名前に混じって、現代人の名前があるぞ。
今の宮司の師匠にあたるひとの霊号で、生前の名前に
大人神うしのかみと尊称をつける。
木曽御岳や木曽駒ケ岳の山麓には、○○大人神の石標が林立していて、一種異様な光景が広がっています。
谷向こうに電波塔が見える。電波塔の下に三角点があって、あそこが大土山なのだ。
他の山から転進して来たので、時間が足りない。今日は、山頂までは行くのは止めとこう。
岩座からいったん鞍部まで降りて、再び登り返す。
金属の鳥居から岩座のほうを眺める。前に、ここで背広姿の信者をみかけたことがある。
背広にネクタイ、靴は革靴で、書類鞄を持っている、周囲の風景とまるで不似合いな姿だったね。
大土山へ向かう道は再び土塁の上を歩く道になっている。
エスケープルートこの土塁を築いた庄屋の組織力、統率力は大したもんだよ。手間賃・日当も嵩んだことだろうね。
大土山には向かわずに、重機で切り開いた道を下って行く
一軒家があるが、社務所なんだろうね。祭祀も司るのか、土木に専従しているのか、訪問していないので判らない。
ここの宮司は関東在住のようだ。天ノ岩座神宮をキーワードで検索すると、おおよそが解ってきます。
この先は舗装路をどんどん歩いて下っていけばええのです。
途中で、採石場からの道が合流する。大土山からのエスケープルートでもある。
ただし、立ち入り禁止、進入禁止の立て札が多くて、歓迎されていないようなので、あまり通りたくない道だね。
ぼちぼち舗装路歩きで足が痛くなってきたころ、街道と合流する。
別荘地風の建物があって、10軒前後、中には生活感が漂う家もあるので、定住しているのかもしれない。
市道と合流道の両側は激しく伐採してある。道にかぶさる樹を幹ごと伐採してある。
これでは伐採時には通れないさ。通れなくてもこの通行止めにクレームをつけてはいけない。それはハイカーの我が侭というもんだ。
帰ってきたぞ、憩いの森の駐車場。高天原の岩座をぐるっと一回りして帰ってきたよなぁ。
何頭も鹿を見たぞ。10匹以上は見たなぁ。こんなに増えては防ぎきれない、農家の鹿害は大変なものだろうな。
2004年2月13日  やはりマイナーか、大土山
2005年10月30日  清酒、大吟醸の山、大土山
2006年5月20日  見直した、踏まれてる山、大土山
2007年6月2日  清酒、大吟醸の山、大土山2

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