旧甲奴郡をもっと詳しく、甲奴町を中心に、その3

2020年_8月16日

甲奴町を中心に、それぞれの境界まで

 

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旧甲奴郡は以前に自転車を走らせたことがあります。2010年4月19日「旧甲奴郡(総領町、上下町、甲奴町)」 この時は背骨だけを走った。も少し詳細に走ってみたい。
甲奴郡は平成の大合併で、総領町は庄原市へ、上下町は府中市へ、甲奴町は三次市へ合併し、甲奴郡は消滅してしまいました。
合併で郡が消滅することはよくあることだが、三方ばらばらに近隣の市に合併することは珍しい例だね。
スタートは総領町から始めました。2020年_7月17日「旧甲奴郡(総領、上下、甲奴)もっと詳しく、その1」念入りに進むと、それぞれひとつの町内で結構な時間を要するのがわかりました。
次は上下町だ。2020年_7月31日「旧甲奴郡をもっと詳しく、上下町を中心に、その2」結局、ひとつひとつの町を丹念に進むという形になるね。
残ったのが甲奴町、三次市役所甲奴支所の駐車場に車を置いて、自転車を出発させよう。
小童ひち川に沿って、小学校児童の通学路がある。県道は自転車も通りたくないほど道幅が狭いのだ。目的外使用だが、小学校の通学路を使わせてもらおう。
三叉路の信号交差点と福塩線の鉄橋が見えている。小童ひち川の対岸から眺めているのだよ。ここを通れば自動車におびえることはない。
山麓の道を通って須佐神社の門前に到着、自転車を置いて、石段を歩いて須佐神社に参拝しよう。これが須佐神社の鳥居の扁額
佐の字の左が向きが反対になっている。馬の字を反対に書いたり、福の字を逆さまに立てたり、そういう書体はあるもんだよね。
祭神はスサノオ、須佐神社、祇園神社、八坂神社、天王社、牛頭社、いろいろな形でスサノオが祭られている。備後のスサノオの社ではここが筆頭の社なんだよ。
先へ進もう。
小童ひちの四差路、広定郵便局の前の四差路なんですよ。ここを左折、直進、右折と、何度も繰り返す。まず最初は左折する。
峠の手前で県道はむちゃくちゃ細くなる。この道は4トン車以上は通行禁止と案内がある。
ほんまに狭いよ。さらに、右へ左へ何度も折り返す。
この道で自動車に出会ってしまった。もちろん自転車から降りて道の際に避けなきゃならない。一台ならともかく、二台もやってきたよ。車にとっては自転車が迷惑なんだよね。
峠の上が三次市甲奴町と府中市上下町の境界なのだよ。境界看板の裏側には三次市とある
峠を抜けて上下町に入ると道幅の広い道になっている。甲奴町側の坂道だけが未開発なのだ。いずれ改良工事が施されることだろうね。
引き返そう。引き返して、広定郵便局前の四差路に戻る。左折する。
ゆるゆるとした坂道なのだよ。峠越えの道とは思えないほど軽く登れる道なのだ。
ここが紫峠、名前が優雅でしょ、この道は旧石州街道・石見銀山街道で、紫峠とはその名残で命名されたものだろうね。
2014年_9月12日「石見銀山街道、宇賀(甲奴)~甲山(世羅)」でこの界隈は自転車で駆け回っている。それを思い出しながら自転車を漕いでいる。
紫峠からちょっと世羅側に押し込んで、甲奴町と世羅町の境界がある。世羅町の看板の裏には甲奴町の看板がある
境界が自然の境界ではなく、意図的に押し込まれた境界なら、いつも地頭の勢力を思うのですよ。こっちの地頭が強かったのだな、あっちの地頭は弱かったのだな。
さて、引き返そうか。
広定郵便局の四差路まで戻る。この界隈に広定という地名はない。広〇、定〇という地名もない。おそらく郵便局長は広定さんなのだろう。特定郵便局なんだろうね。これが広定郵便局
どうして小童ひち郵便局と名乗らなかったんだろうね。小童ひちにはこの郵便局しかないのだから、小童ひち郵便局と名乗れば何も不思議に思わなかったのにね。
ここを左折してしこしこと坂道を登っていく。峠を越える。峠の前後とも小童ひちなので、小童ひち峠と言うんじゃなかろうか。無名の峠かもしれない。
峠から向こうは下り坂、立体交差の道が見えてきた。立体交差の上の道は甲奴インターと甲奴の市街地を結ぶ県道なんですよ。道の高さにギャップがあるので立体交差するしかなかったのだ。
宇賀の信号交差点に到着、廃校になった小学校の前なんだよ。ここからまた峠道を登っていく。
ここが宇賀峠、ここに宇賀峠という標識はない。頭上の尾道道には宇賀峠という標識がある。それなら下の道も宇賀峠でええんじゃないかい。
峠からその先へ道を下っていく。尾道道の高架の下に吉舎町との境界標識がある。
紫峠から押し出していたり、ここでも峠から押し出している。甲奴町の北の太郎丸からも、総領町に押し出して領域を広げている。
よっぽどここの地頭は強かったのだろうと思うよ。上下町との境界はほぼ尾根と重なっている。平地での境界は無理のないラインで形作られている。
甲奴の地頭と上下の地頭は実力が伯仲していて、自然の境界が領土の境界になっているのだろうね。
反転して戻る。尾道道の高架を眺める。宇賀の集落まで戻り、さらに梶田の集落へと降りていく。
県道の鉄橋が上下川と福塩線を跨いでいる。このまま鉄橋の下を潜って、上下川に沿って下っていく。
甲奴町と吉舎町の境界はどのへんなんだろうな。ここだ、境界の看板があったポールが残っている。ここから先は吉舎町安田なのだ。
境界にはたんぼが見えている。安田の地頭が奪われまいと必死に防戦したのだ。いくら甲奴の地頭が強くても、ここではこれ以上侵食できなかったのだ。
さて、引き返そう。
梶田の集落まで戻った。予定では、甲奴町の北半分も行くつもりだった。暑い。ただごとじゃなく暑い。
2020年_7月17日に「旧甲奴郡(総領、上下、甲奴)もっと詳しく、その1」で甲奴町と総領町の境界を確認していることでもあり、今回はこれでもうええかな。
三次市役所甲奴支所まで帰ってきた。いやぁ、暑かったぜぇ。
三次市役所甲奴支所 須佐神社 広定郵便局の四差路 府中市上下町との境界

紫峠 世羅町との境界 小童の中での峠 宇賀
宇賀峠 三次市吉舎町との境界 梶田 吉舎町との境界(福塩線沿い)
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