出雲国神仏霊場

第19番 長浜神社ながはまじんじゃ

出雲市西園町 平成23年6月25日訪問

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長浜神社、ここを曲がる 長浜神社、神門 長浜神社、拝殿 長浜神社、本殿
出雲の地を一周して、ふたたび出雲平野に帰ってきました。
高速の山陰道を出雲インターで降りて、道の案内するままに出雲大社へ接近していきます。
コンビニ・ファミリーマートの先に長浜神社の案内があります。ここで左折するのだ。神戸川かんどがわを渡る、橋の名前が妙見橋、橋の向こうが妙見山
そこに長浜神社は鎮座しております。
神社の入口の駐車場は草むしております。ここから参道が延びて石段を登って行くのだ
駐車場に、国引き神話と題して、看板がある。内容があまりに壮大だからコピーすると
八束水臣津野命やつかみずおみつぬのみこと
「出雲の国は細長い布切れのような国だなあ。最初に国を小さく作りすぎてしまった。だから作り足して大きくしよう」
と言われ、国引きを決意されました。
どこかに継ぎ足して縫い合わせられるような土地はないかと眺めてみると
「朝鮮半島の新羅の岬に余った土地があるぞ」と見つけられ
幅広で大きく形のよいスキを用いて、大きな魚のエラを刃物で切り断つごとく、ススキの穂を切り断つごとく切り取り
三つ縒りに縒った太い綱をしばりつけ、霜で枯れたカズラを手繰り寄せるように、川船をそろりそろりと引くように
「国来い」と引き寄せて来て元の国に縫い合わせていかれました。
こうして出来た土地は島根半島の西端の杵築の岬の一帯です。
この土地をつなぎとめるために立てた杭は三瓶山です。
また引いたときの綱は薗の長浜がそれです。
さらに、狭田の国、闇見の国、美保の岬を作られ、4回にわたる国引きを終えられました。
その後、人々は出雲の国の総鎮守として、国引きの神とその后神・御子神を薗の長浜の妙見山に祭りました。

薗とはこの地の旧名、薗村のこと、そこに長い浜があります。
杵築の地とは出雲大社の地名、狭田の国には佐太神社、美保の岬には美保神社、それぞれ祭る神社があって、闇見の国は所在不明なんだそうです。
朝鮮半島の新羅から引き寄せたとは、これは驚きです。民族紛争を引き起こすなぁ。
かの地の人々が知ったら、火がついたように怒るでしょうね。
侵略だ、略奪だ、返せ、戻せ、出雲大社はウリのものニダ。テーハミングク、ウリナラマンセイ。
長浜神社は、田中角栄の列島改造計画の先駆者なんですね。埋め立て、デベロッパーの守護神として納まればピッタリなのにね。
あいにくと、境内には○○建設、××土木、○×サルベージ、×○海運、□□不動産の名前はありませんねぇ。
効験としてあげているのは、はるかにささやかで、綱引きが神社の起源なので、スポーツ上達、勝利祈願の神として売り出しております。
妙見山という名前が残っているように、江戸時代までは妙見社、妙見大社という名前でした。
妙見とは、北斗七星、北極星の別名で、妙見信仰は全国的に見られることです。
妙見信仰から国引き信仰に神社縁起を変えた、そのへんの事情が気になるなぁ。
明治時代のことだから、時代の勢いに乗っかって神社の由緒を書き換えたのだろうねぇ。
いいえ、難癖をつけているのじゃありません。
時代の風を読むのは大事だし、大きく舵を切り替えて、その後順調に参拝者をキャッチしていくのはもっと大事です。
実はね、わたしのところの氏神さん、王子神社から熊野神社に祭神を変更しているのです。たぶん、明治のころだと思います。
神仏分離があり、神社本庁が整備され、原理主義が勢力を持ち始めた時代でした。のどかな時代から窮屈な時代へ変わって行くころのことでした。
今日は自転車で行動しております。 自転車篇、神戸川かんどがわ、河口から下流域中流域
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