風土記の丘から甲立古墳へ

2020年10月24日

風土記の丘から時計回りに甲立古墳を経て一周

 

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みよし風土記の丘に到着、ここの駐車場に車を止めよう。わたしが一番乗り、駐車場には他に車は全然いない。
2020年_6月24日 「みよし風土記の丘から、山の道を、里の道を」この時、ここの駐車場から自転車を走らせたのだ。
国道375号線に出て、左折する、南に向かう。しばらくは国道を走らせて行くのだ。
糸井町で美波羅川にぶつかる。西川橋を渡らず、美波羅川の左岸を進む。車の通らない里道で、国道を通るより気持ちがよろしい。
海渡うと町で200メートルばかり国道と重なる部分があるが、たいてい川沿いの里道を行く。
美波羅川は狭隘部に入っていく。国道はそれを避けるが、自転車はそのまま狭隘部に入っていく。狭隘部を抜けて、再び国道375号線と合流する。
県道440号線が付け変わったところがある。元の県道が狭いので、広いところに付け替えたのだ。橋を渡ってその県道を進んでいく。
このあたりに有原という大きな集落があったのだ。その大きな集落が分裂した。今の三次市川西地区(元の川西村)と三和町とに分裂したのだ。
今では同じ三次市だが、小学校は違う、農協の支所は違う、消防団も違う、回覧板はそれぞれ別々、どういう事情で分裂したんでしょうね。
その三和町側の有原の坂道がある。まずは軽い坂道だが、坂道の上と下に分裂してしまったのだよ。
ここからは下り坂、下ったところに美和桜酒造がある。前身の社名が三和酒造、合併して三和町が誕生する前に三和酒造があったのだよ。酒屋が新町名を引き寄せたのかしらね。
美和桜の前を曲がって板木川に沿って、板木川を離れて県道440号線に戻る。
ここからはゆるゆるとした上り坂、抵抗なく進めるが、坂道が長いので、かなわんなぁ。自転車を降りるほどではないが、我慢しながら登らなきゃならない。
峠に到着、三叉路と三叉路が隣接して、変形四差路になっている。ここが三次市三和町と安芸高田市甲田町との境界なのだ。
峠の名前はまどうし峠、馬通峠の名前の由来はこの立札にある。巨石の碑文があるが、これは出征兵士との別れを嘆いた碑。
下り坂を降りて、平野部で道は分岐している、どっちを行ってもよろしい。今日は右の道を行きたい気分。
甲立駅の東の踏切を越える、さっきの分岐の左の道を行けば西の踏切を越えるのだ。
ここが甲立駅、駅舎は民衆駅のようで、キシャのキップは委託されているようだ。
甲立の町を抜けて先を急ごう。
可愛川を渡る橋が智徳橋、地名の橋名ではなく、美辞麗句の橋なのだ。
国道54号線をちょっと進むと、甲立古墳の看板が出ている。古墳発見のニュースは見たが、その古墳を訪問したことがない。
古墳への坂道はえらく急坂、とても自転車を漕いでは登れない。降りて押して登ることにする。
駐車場がある。多目的広場がある。名前は多目的だが、実態は野球場で単独目的なのだ。
ここからは歩きになる。細い道だが、擬木の階段もあって、迷うことのない道なのだ。
古墳に進む前に現役の墓地が点在している。ずっと散らばってあちこちにある。
立札に従って進んでいく。あそこが国指定甲立古墳と案内がある。
え、あれかい、意外に小さいじゃないか。広島県で二番目に大きいと聞いていたが、予想と違ってかなり小さい。広島県で一番の前方後円墳は東広島にあるのだそうな。
わたし、大阪の河内王朝の巨大古墳群を見ております。さらに、岡山県総社市・岡山市の吉備古墳群を見ております。とりわけ、吉備古墳群の作山古墳、造山古墳はでかいよぉ。
2016年_1月11日「吉備路自転車道 総社~吉備津神社・吉備津彦神社」 2016年_2月12日「吉備路自転車道、吉備高原自転車道 最上稲荷
前方後円墳というと、巨大なものだという思い込みが刻み込まれていて、ええっ、ちっちゃい、想像を裏切る小ささだ
後円部を後ろから見ているのだ。山裾に向かって前方部があるのだ。それは古墳の頂点に立たなければ見えない。古墳の頂点に立つのは遠慮しとこうか。
麓の駐車場まで降りて、記念写真、看板のイラストが仁徳陵天皇陵・大仙陵古墳の模式じゃないか、これを見るから巨大古墳を思い描いてしまうのだよ。
大和王権がここまで影響を及ぼした、という前方後円墳にはがっかりだよ。これからは、出雲の四隅突出型古墳を探すことにしよう。出雲の影響がどこまで及んでいるか探ってみることにしよう。
来た道を引き返して、安芸高田市甲田支所の前を通る
JR芸備線に沿って、県道37号線を進む。国道54号線を行くよりこっちのほうが交通量が少ない。自転車にはこっちのほうが向いているのだよ。
三次市との境界にさしかかる。
のんびりと県道を進む。いずれ国道54号線に合流する。青河と下志和地との峠を越える。あまりに低い峠なので名前もつけてもらっていない。
次の青河信号交差点を右折する。県道432号線が付け変わって、芸備線の下をアンダーパスで抜ける仕掛けになっている。以前の旧道はトラックも通りにくい狭い道だったのだよ。
県道規格の道を進んで谷底の四差路に至る。四差路の先は通行止めとなっている。ここから先は狭い道なのだ。そこの部分は県道432号線なのか、県道予定地なのか、定かじゃないのですよ。
迂回路は看板にある、ピオーネ団地から来る道なら四差路を直進、青河から来る道なら右折する道を進むのだ。
2020年_6月_6日「三次ピオーネ団地から東回り」 2020年_6月17日「三次ピオーネ団地から西回り
峠をこえたところに重機・ダンプがたむろしている。今日は作業員はだれもいない。だれもいないから堂々と通り抜けよう。
ここが工事中、なるほどなぁ、神杉側から工事を進めてきて、峠の反対側へと進めていくのだな。
辻塚ついづか下の分岐まで戻った。あえてこの分岐を右に進む。毎回クリーンセンターの前を通るばっかりじゃ快くない、別の道も行ってみたいものね。
2020年_6月24日「みよし風土記の丘から、山の道を、里の道を」この道の先を進んだのだよ。
すぐに左に曲がって、山の中の道を進む。山の中にいっぱいため池がある地形なんだよ。
大きな道に合流する。二本松牧場を経てゴミクリーンセンターへ向かう道に合流するのだ。
見慣れた道を進んで、国道375号線に合流する。ここから風土記の丘まではすぐ近いのだ。
国道から離れて風土記の丘へ、駐車場はいっぱいに車が止まっていて、朝には一台もいなかったのにね。さぁ、帰ってきたぞ。
風土記の丘駐車場 県道440号線へ 三和町有原の坂道 美和桜酒造

安芸高田市境界 甲立駅 甲立古墳 三次市境界
青河アンダーパス 通行止め 神杉側で工事 国道375号線へ合流
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