明神山連続三山走破、2回目

2018年11月27日

三若の郷の駅発、時計回りに明神山三山を巡る

 

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このところ、登山篇では岡田山に何度も登っています。岡田山の近所の明神山三山が気になってきます。もう一度自転車で走ってみようか。
2009年5月22日に「明神山連続三山走破」で明神山を走っています。楽じゃなかった記憶があるが、当時と比較しての体力測定の意味もあるな、行ってみよう。
登山篇では、2005年3月7日「明神山、三重連」それぞれの山頂に登っています。自転車は麓までだが、頂上はそっちを見てね。
上田明神山の北麓に、川西郷の駅という施設がある。コンビニ・ファミリーマートを併設していて、物産館とコンビニが同居している格好なんですよ。
コンビニの前に駐車したのではまずいだろう。横に公共の駐車場があって、そっちのほうに駐車しよう。
自転車を出発、国道を北にちょっと走って、三良坂方面に向かう県道を進む。エイホエイホと最初の坂道を登るのだよ。
石原トンネルがある。前に走った時は、トンネルを避けて峠道を登った。あれは9年前のこと、気力体力、当時と同じじゃないよねぇ、本意ではないが、トンネルを通ることにする。
坂道の下りで、県道を離れて上田へ向かう道に右折する。里道に入って、すぐに上田町の地域に入るのだよ。
谷は一挙に登り坂になって、見上げれば民家が上へ上へと重なっている。この坂道をセッセセッセと漕いで行かなきゃならない。
自転車を押すまでもないが、時々、息を整えるのに自転車から下りる。振り返ると山稜にアンテナ群が見えている。あれは岡田山頂上のアンテナ群なのだよ。
やっと激坂を登り切った。登り切ったところに地蔵堂がある。峠の地蔵なんだね。いやぁ、お疲れ、お疲れ、と癒してくれているんだろうね。
この先も登り下りはあるが、今までと比べるとへのかっぱ、大したことはない。
登り切ったところにほしはら山のがっこうがある。廃校になった旧上田小学校をNPO法人にして再利用しているんですよ。
道から離れて上田明神山に近づいて行く。山裾をそのまま進んで行くと、案内看板がある。ここは上田明神山の登山口で、看板の右に道がある。
さらにこのまま北に行ってみよう。
民家があって、ここは槇の集落なのだよ。10軒程度の集落で、突き当りに地蔵堂がある。地蔵堂から離れて、左右それぞれに民家が点在している。
ここから上田天神山を見上げる。あまりに接近しすぎているので、写真に撮ってもクローズアップ過ぎて写真にならない。
よし、満足。もう一度、ほしはら山のがっこうまで戻る。さらに街道の先を進む。
ここが岡田山への分岐、岡田山に向かう人はこの標識に従って右折して行くのだね。
ここからは下り坂、出たところが上田の峠、これほど有名な峠なのにこの峠の名前を聞いたことがない。峠に古い観光案内図があるが、案内図にも名前が無い。仮の名前として上田の峠とでも命名しとこうかね。
峠は変形四差路で、北へは真っ逆さまに転げ落ちるような傾斜、西には平田観光農園への道、ここは南へ世羅町の方向へ向かって行く。
世羅町の境界看板があって、ここから世羅町、峠を越えれば津田明神山が見えてくる。
旧道を進んで、行き詰って、新道に戻って行く。
道標がある。津田の明神山、登山口、と読み取れる。風化していて、一部の文字は全然判読できない。
登ってみよう。この坂ちょっと急坂過ぎて、下りて押して歩かなきゃどうにもならない。県の天然記念物で地層と岩はこっちと案内がある。一番津田明神山に接近しているところなんだよ。
ここから山に入った記憶がある。入って道は行き詰っていた記憶がある。あらためて西麓から巻いて北麓に登山口があったのを思い出しています。
津田明神山はこれでええ。引き返そう。県道に戻って、南へ進む県道を進んで行く。
ゆるゆると登る坂道なんだよ。ほどほど登ったところで、世羅西中学校への道がある。世羅西中学校へ統合して新校舎が完成した。その時に道路も新設したのだろうと思うよ。町道です。
中学校に行くまでに高架の道が見えている。世羅広域農道、あるいは、世羅高原ふれあいロード、どっちが正式名称でどっちが愛称なのか、あなたが思ったその通りだと思うよ。
広域農道、あるいは、ふれあいロード、取り付け道路を経て乗り込んで行く。歩道の幅がやたら大きい。歩道を自動車が通ろうと思えばじゅうぶんに通れる。自転車はここを通るよ。
西に向かっていると、黒川明神山が見えてくる。
左側にクロカン道路の案内がある。行こうかどうしようか考えたが、ロードバイク向きではないだろうと断念、行くなら次の機会だね。
黒川明神山登山道の案内が出てきた。前に黒川明神山に登ったのは、こっち側の北麓から登ったのじゃない、南麓から登ったのだ。たぶん幾つも登山道があるのだろうね。
広域農道、あるいは、ふれあいロードの終点となった。突き当りが起点終点なのだ。突き当りを左折して県道の方向へ向かって行く。
県道を行くと世羅町三次市の境界となる。境界の落差が凄いね。世羅町側は歩道完備、三次市側は歩道はない。自治体の熱意の差だろうね。県会議員の腕力の差かも。違いがありありと判るね。
県道は国道375号線に合流する。あとはこのまま国道に沿って進めばよろしい。
三若町の峠がある。峠の登り下りがうっとうしい。これを避けるには美波羅川に沿って里道を行くのだよ。こうすれば苦しい峠越えを避けることができる。
再び国道375号線に合流して、川西郷の駅までは間もなくなのだよ。ほら、帰って来た。
川西の意味はね、明治22年、町村制施行により、周辺の村々を糾合して川西村が誕生した、それ以来、この地域を川西と称するようになった。川西とは、それぞれの村々とは無関係の、創作地名なんですよ。
石原トンネル 県道から上田へ 激坂を登り切った 上田明神山
上田明神山の背後 上田の峠 津田明神山 ふれあいロードに乗り換え
黒川明神山 ふれあいロードの終点 国道375号線に合流 川西郷の駅に帰った
参考、関連のコース
2008年10月18日 三次市、南の半分 その1
2009年_5月22日 明神山連続三山走破
2009年11月_6日 世羅高原ふれあいロード(世羅広域農道)
2012年_6月10日 美波羅川、水源地まで探索、往復
2016年_8月15日 高校駅伝、広島県予選コース、その先へ
登山篇、このページ関連
2005年_3月_7日 明神山、三重連
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