集中豪雨の跡のことだが、10年前に行ってみた、その後どの程度まで回復しているだろう。それを確認に出かけてみようかね。
庄原市街地から西城川沿いまで坂道を下って行く。市の始まりは川舟が停泊するところから始まるもんだが、ここ庄原は丘の上が市の始まりだった。
長いこと市街地の外で、鉄道線路が敷かれてからやっと開発されるようになった。体育館やテニスコートがあり、民間のゴルフ打ちっ放し場が隣接している。
体育館の駐車場に駐車しよう。利用者以外は使用禁止とあるが、自転車もスポーツ関連なんだよ、そこは大目に見てね。
出発して芸備線備後庄原駅に近付いて行く。周辺は再開発していて、ロータリーも整備して見違えるようだよ。ここが備後庄原駅なんだよ。
駅から家並が途切れたあたりから、川の対岸を眺める。ここから見えないが谷の奥に大仙山がある。2019年で山登りをやめたのだが、最後の山がそこだったのだよ。
西城川に沿って遡上していく。頭上を高道路が高架で走っている。バイパスが出来る前は国道183号線だったのだ、今は県道232号線に格下げになっている。
高駅に寄ってみよう。寄ってみただけ、変哲もない無人駅なのだ。
バイパスと旧国道は合流する。この川向うに自転車で向かったことがある。蘇羅比古神社の分祠があるという情報で、一度では分からず、二度行って解明したことがある。
集落の背後のこんもりとした森の中にそれはあるのだよ。
谷間にコンクリの構造物が見えている。あれが庄原ダムなのだろうか。
庄原ダムという案内標識がある。今までこんな案内標識を見たことがあったかな。
橋を渡る。橋の名前が竹の下橋、竹の下とは地名なのか個人宅の名前なのか、どうなんでしょうね。ただ単にタケヤブがあったからそこから由来したのかもしれない。
上川西の集落を抜けて、庄原ダムへの案内標識がある。へぇぇ、この道はわたしの地図には収録されていない道だ。国土地理院の2万5千図なんだが、ちっとばかり古いんですよ。
地図の道は谷底にあるのだが、新しい道は山腹を走って、谷を越える橋を渡っている。大戸川に架かる橋の名前が差指川橋、国道から見えたコンクリ構造物はこの橋だったのだよ。
橋の上から振り返ると、大黒目山が見えている。てっきり左端かと思っていたが、家に帰ってカシバードで確認すると、右端の山が大黒目山なのだそうな。
ダム道の取り付きからダム堰堤まで勾配はほぼ7%、ここまでは自転車を押して歩いたが、ここからは自転車を踏んで進めるほどの緩傾斜に変化する。
ダムの湖面を覗いてみる。奥へ引いているが、幅が狭く、そんなに湛水量が多いとも思えないな。
こんな支谷の小さなダムに庄原ダムと大きな名前を命名するのは無駄遣いじゃありませんか。
将来大きなダムを建設する予定がない、ここで庄原ダムの名前を使い切ってしまう、その覚悟ならそれでもよろしいけどね。
ダムの湖面の左側に架かっているので左谷橋を渡る。
右岸、左岸は上流から下流を見て、左右を決める。
右俣、左俣は下流から上流を見て、左右を決める。
右谷、左谷は右俣、左俣を援用しているんでしょうね。
この後は湖面を渡ることなく、谷川を何度も渡る、二の渡橋、1の渡橋、その後、最初の民家が見えてくる。1の渡橋、二の渡橋、なんとも愛情のない命名だねぇ。
たんぼに沿う道を行かずに山の中の道に進む。この道も地図にはない道で、広幅の道が延びている。ダムを建設する時、取付道路として新しく道を建設したんだろうな。
ダム道の最高地点がここ、ここからは下り道になる。
県道445号線に出会う。ここからは新設の道ではなく、地図にも記載されている道なのだ。
ここは先大戸の集落、次が大戸の集落、後大戸の集落ともいう。この先に中間の峠があって、峠を越えれば大兼池がある。
大兼池に続いて大兼峠、この先は西城の町へ落ち込んでいく。ここで引き返す。
大戸の集落を越え、ダム道への出合を過ぎると、西城町と旧庄原市の川北町との境界となる。
西城町大戸の集中豪雨の被害は今では回復している。ここでは被害の爪痕は見受けられない。
川北町に入ると一変する。平成22年(2010年)集中豪雨がここを襲った。当時はそのような呼び名はなかったが、線状降水帯に繰り返し襲われた。
近隣には雨が降る気配もなく、ただひたすら川北町篠堂に集中して雨が降った。
2013年に自転車で来訪してみた。谷の中に廃屋が残されている。道のわきに無住の家が残っている。山肌は引き裂かれたように崩壊跡があちこちに見える。
2013年から10年後、山肌の裂け目は緑に覆われている。一部の裂け目が残っているが、目を引くほどのものではない。
砂防ダムがゴロゴロ続いてある。支谷を塞ぐ砂防ダム、篠堂川をガチガチに固める砂防ダム、砂防ダムの見本市かというほど連なっている。
谷間の川沿いの民家が一軒残らず取り壊されている。きれいさっぱりない。代りに墓地があちこちにある。
どれも新しい玉垣、墓石も新しい。引越ししていくにあたって、家屋敷地に墓地を新設して去って行ったのだろうな。墓地の数だけここに住居があったのだ。
記念碑が残されている。平成22年庄原豪雨災害 篠堂川 復旧記念碑 復旧記念碑とあるが復旧してないよ。挙家離村ということなのだよ。
谷が広がって平野になって、取っ付きの家はどうやら廃屋のようだ。家は健在だが、庭は草ぼうぼうで人の出入りはない。放棄されたままになっているな。
でもまぁ、平野のところでは田植えもすんでいるし、ここまでは被害は及んでいないのだろうな。
国道432号線と出会った。これからは自動車に気を付けながら自転車をこいで行かなきゃならない。
西城川に出会う、川べりの道は狭いから嫌いなのだよ。
庄原大橋を渡って、体育館まではもう近いのだよ。ほら、帰ってきた。
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標高 |
隣との標高差 |
出発からの距離 |
隣との距離差 |
区間の勾配 |
庄原体育館 |
243m |
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竹の下橋 |
283m |
40m |
10286m |
10286m |
40/10286=0.4% |
ダム道のピーク |
407m |
124m |
13775m |
3489m |
124/3489=3.4% |
西城町大戸のたんぼ |
382m |
25m |
15649m |
1874m |
25/1874=1.3% |
大兼峠 |
437m |
55m |
17253m |
1604m |
55/1604=3.4% |
西城町大戸のたんぼ |
382m |
55m |
18706m |
1453m |
55/1453=3.8% |
西城町と川北町の境界 |
418m |
36m |
20405m |
1699m |
36/1699=2.1% |
西城川との出合 |
230m |
188m |
28746m |
8341m |
188/8341=2.3% |
庄原体育館 |
243m |
13m |
31153m |
2407m |
13/2407=0.5% |
別ページ、轍のページに、断面図=プロフィールマップがあります。傾斜の凹凸はそっちのほうがより感覚的に理解できると思います。