安芸高田市内を行くと、あちこちで毛利元就郡山城入城500年のポスターが貼り出されています。
郡山城入城にも二段階あって、幼い当主の後見として叔父として入城したのが最初、その後合戦で働きを見せて、当主に就任して入城したのがその節目、入城500年はそこから数え始めているのだそうです。
ヤクザで考えてみるとよく分かるよ。
最初はオジキとして入った。先代からのサカズキだから、当代の幹部会には出席できない。出入りで名を上げ、幼い当代に変わって首座についた。あらためて全員、サカズキを元就からもらった。
こう考えると理解できるでしょ。
安芸高田市の駐車場に車を止めた。駐車場に空きはなんぼでもある。どこの自治体でも駐車場は空いている。ただし、三次市役所の駐車場には空きは少ないよ。他の会館・施設に止めたほうがベターだね。
ゆめタウンの前から郡山城を眺める。低い山なんだがなぁ。
安芸高田市歴史民俗博物館の前を通る。ここには一回しか入ったことがない。一回入れば十分だとも言うがね。
郊外に出て、印内峠への分岐を過ぎる。なぜ印内峠か、印内峠を自転車で過ぎたから。自転車的には意味があるが観光面では意味がない峠なんだよね。
大峠への分岐を過ぎる。大峠はおおだわと読むのだよ。こっちのほうが高度が高い。ストレートな道で自転車的にも好ましい道だね。
次の信号交差点が丹比信号交差点。ここで始めて猿掛城への案内が出てくる。
猿掛城はさるがけじょうと読む。掛はかけと読んだりがけと読んだり、岡山県に矢掛町がある。やかげちょうと読む。本来はやかけなんだが、滑舌が楽なので、やかげと発音する。こういうのを音便という。
今では廃校の丹比西小学校の道の角に二番目の案内がある。
正式な住所表示は多治比なのだが、発音が楽なので丹比と言っている。交差点名=丹比、小学校名=丹比、正式名のほうが優勢で、略称のほうが劣勢みたいですねぇ。
で、小学校跡の角を入ると、観光案内板がある。ペンキが劣化して浮き上がっていて読めません。
そのまま道を進んで山裾に突き当たる。案内板があって、ここのはちゃんと読める。父が隠居して、幼い元就は父と一緒にこの城に入ったのだ。
のちのち、郡山城に出仕するのだが、そこから元就の出世物語が始まるのだよ。
小学校跡から眺めて、正面の左側が多治比猿掛城、右側が烏帽子山、こっちは登山対象になるのだよ。
谷の奥へ進もう。県道319号線は直進するが、土師ダムと案内看板が示している、左折してそっちへ進んで行く。
しばらく進むと高北広域農道と看板がある。土師ダムから三次市粟屋町まで飛び飛びに設置してある農道なのだ。この区間では、ここから土師ダムの手前まで続いている。
次のポイントは何の標識もでていないところ、谷を盛土で堰き止めて、橋が架かっている風景、これは重要だから覚えてね。
坂道を登る途中でトンネルの上に道があるのが見えている。烏帽子山に登る取り付き点なんだよ。この先、道があるような無いような微妙な道が頂上まで続いている。
とてもじゃないがもう漕げない。トンネルがあるような道はたいがい急な坂になっているもんだ。
中馬トンネルに入る。トンネルを抜けると、道が二分する。どう見ても右に行く道を進むべきだろうな。それでええのです。
中馬の集落を過ぎて、急な坂道を下って、麓まで下りてくる。溝川の名前が油川、なんちゅう名前だろ、こんな細い流れなのに一級河川とある。一級二級はどこで決めるんだろうね。
国道54号線に合流する。途中の山手の新道を通ってもよろしいよ。54号線まで行きたいから突き抜けただけなんだからね。
54号線をちょっと北上して、吉田サッカー公園入口の信号交差点で北上する。54号線に合流して反転して山の方向に向かっていくんだよ。
沿道にはサンフレッチェの幟が立てて並んでいる。
登り坂になるので、もう漕げない。無理をしなくてよろしい。がんばって漕ぐのは若い人に任せておこう。
峠の手前に変電所がある。島根原発から来た電力を吉田周辺に流す変電所なんだろうな。もうちょっとがんばって峠を越える。山手と西浦の間の峠だ。山手峠か西浦峠か、そんな名前なんだろうな。
峠を越えるとサッカー公園が見えている。駐車場には大量の車が駐車している。何かイベントでもあるのかしら。
そうではないんだそうな。サンフレッチェの練習日程は発表されていて、練習を見に来ているのだそうな。公開練習はウィークデイ午前中、ユースは夕方なんだそうな。ユースはそれまでは学校があるものな。
誰もいないけど、グラウンドの芝だけ見てから帰ろうか。
来た道、県道6号線に合流する。スポーツ公園への案内がある。スポーツ公園とサッカー公園は別物だから間違えないでね。
歴史民俗博物館前まで戻った。毛利元就郡山城入城五百年を告知するイベントのポスターがある。陽に曝されてポスターの色が抜け落ちてしまっている。
幟がある。毛利元就X郡山城、Xでなく合戦のマークなんだろうか。
毛利元就は、家督を相続して、大永3年8月10日(新暦換算1523年9月19日)に郡山城に入城しました。
それからちょうど500年の日、2023年9月19日 元就の郡山入城を再現します!
多治比から吉田へ、元就の気分で歩いてみましょう。
イベントの告知です。郡山城入城再現ウォーキング、集合9時20分、博物館から多治比猿掛城まではバス移動、10時猿掛城麓出発、11時40分郡山城(本城)到着、12時20分博物館前で解散
コスプレも歓迎、要健脚、定員25人だから、主催者側も含めてバスの定員いっぱいなんですね。
ウィークデイにイベントを設置しているので、ハテ?、と思いましたが、正確に500年ということで、その日意味があるんですね。
市役所駐車場まで帰ったぞ。意外に短距離短時間で終わって拍子抜けだね。
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標高 |
隣との標高差 |
出発からの距離 |
隣との距離差 |
区間の勾配 |
安芸高田市役所 |
204m |
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中馬への分岐 |
288m |
84m |
7901m |
7901m |
84/7901=1.1% |
中馬トンネル |
343m |
55m |
8360m |
459m |
55/459=12.0% |
54号線合流 |
206m |
137m |
12244m |
3884m |
137/3884=3.5% |
サッカー公園手前の峠 |
299m |
93m |
14868m |
2624m |
93/2624=3.5% |
安芸高田市役所 |
204m |
95m |
19919m |
5051m |
95/5051=1.9% |
別ページ、轍のページに、断面図=プロフィールマップがあります。傾斜の凹凸はそっちのほうがより感覚的に理解できると思います。