三次の神社、君田を行く、その2、君田北篇

2022年_3月28日

君田温泉杜の泉を出発、東へ八幡宮、北へ神野瀬川を北上

 

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君田も広いので、南北二つに分けて探らなきゃならない。前回は南を行ったので、今回は北を行こう。
君田温泉森の泉、道の駅ふぉレスト君田、共通の駐車場で一体運営なんですよ。ここに車を止めて自転車を引き出して出発しよう。
まず東へ向かう。バス道を進んで庄原市口和町の市境へ進む。市境がしんぎょう峠なのだがその手前まで自転車を進める。
鎮守の森が見えてきて、鳥居が見えているのだが、鳥居の前は崖で切り立っていて、鳥居の左右に横から入るようになっている。
鳥居に扁額があるが、風雨に曝されて、八幡宮とあるのだが、読み取れるかしら
宮の庭に入って本殿に向かう。そんなに大きなものじゃないね。小振りの本殿なのだね。なんで八幡さまは日本全国どこにでもあるのか。八幡さんが一番数の多い神社なのだそうな。
東はここまで、引き返そう。
消防団車庫と泉吉田会館がある。そこに築山があって、頂上に祠がある。名前は不明なんですよ。
国土地理院の2万5千図には鳥居マークがある。ゼンリンの地図にも名前がない。ゼンリンはよく名前を拾っているのだが、ここでは名前登録されてはいないねぇ。
道の駅まで引き返した。ここから北に向かう。道の駅、君田温泉あたりは泉吉田の郵便番号枝番住所、もうちょっと上流に向かうと櫃田になる。ひつたと読みます。わたしは発音を流してひちたと呼んでいます。
君田発電所がある。建物からゴウゴウと音が聞こえている、発電はしているのだろうが、排水口から水が出ていない。
そのまま送水管を通じて下流の森原発電所に流れているのだろうな。一本の送水管でダブルプレーをしているのだ。
真向かいの山は判官山なのだ。見えている施設が高幡森林の森キャンプ場、そこから中電の送電線巡視路を登ってみた。途中で道がなくなった。この道は登山路ではないようだ。

2016年_5月17日 近郷近在、三次市君田の判官山、登れなかった
後日、高幡山の方向から判官山に登りました。
2016年_5月28日 近郷近在、三次市君田の判官山2、今度はOK
このあたりから神野瀬川の谷が広がってたんぼが連なってくる。
橋を渡って右岸を進む。杵築きつき神社に到着、古い時期から出雲の杵築神社を勧請したとのことです。社伝では、平安時代初期、嘘かまことか、とにかく古い。
鳥居から先に石段がないのだよ。平面の先に本殿がある。やっぱり石段がないと威厳に欠けるなぁ
扁額は鳥居にではなく本殿の軒下にある。風雨に曝されていないから、輝きを保っている。
出雲の杵築神社は明治になって出雲大社と改名した。そこから以後に分社した神社は出雲大社と名乗るわけです。各地の杵築神社が置き去りになった感があるよね。
出雲大社の住所は大社町杵築東、他に大社町杵築南、大社町杵築西、大社町杵築北もあります。杵築神社のルーツは地名に保存してあるわけです。
杵築神社であるわけだが、別名、<いずものおおやしろ>と云っていた、それを明治になって、ひらがなを漢字に変えたわけです。別名が本名になったんだよ。
その先に寺原橋がある。橋を渡る道が直進している。道の先は茂田に向かうわけだよ。緑資源幹線林道でもあるわけだ
寺原橋を渡って、番神さんへの案内がある。折り紙博物館への案内がある。坂が急だから、道はセメントに切れ目を入れてタイヤへの摩擦を増やしてある。もちろん自転車は押して登らなきゃならない。
さて、巨大人形がある。三次人形なんだよ。これが番神さんのキャラクターなんだよ。
道を登り詰めて、君田村立君田北小学校の跡地、手近の建物はどう利用しているんだろう、奥の建物は折り紙博物館に利用しているんだね
こんにちわぁと声を掛けたが、誰もいないみたい。無人じゃぁ入りにくいよね、見学は省略して先へ進もうか。
建物と運動場の間に道がある。辿ってみると、番神の祠だかお堂だかがある。
全国的な解釈では、即ち、ウィキペディア的解釈では、30人の神がいて、ひと月30日、順番に仏の番をし、使いっ走りをする。伊勢神宮や熱田神宮の神々がそんなパシリをするのだという。
ここ君田の解釈では、番神さんは子どもの神さんなのだ。病気から守り、子どもの成長を見守る、子どもが誕生すると、三次人形に姓名・誕生日を書いて奉納する。
どうだい、全国的な解釈から脱して、土俗的だが、納得できるローカル解釈になっていると思いませんか。
さて、引き返そう。この坂道は急過ぎて自転車に乗ったままではよう降りん、登りと同様に押しながら降りていく。
県道に戻って先を進む。稀に人家が現れるが、まぁ、単調な道だよね。
櫃田の谷が広がって耕地化しているところ、下流から、宮の原、御所が原、中野原と名付けてある。その中野原で、田和瀬橋を渡る。
番神の手前に三次人形のキャラクターがある。三次人形とはひな祭りの土人形、番神と祝いとが固く結びついているんだね。番神のキャラ変換に成功した例だよ。
鳥居を潜って社殿に向かう。硝子の扉で反射して中が透けて見えない。横の棚には大量の三次人形の奉納品がある。
この番神信仰は君田でも櫃田だけなんだろうね。下流になると、君田町内でも姿を消している。
それがそうでもないのだよ。
わたしの集落では集落の産土神の祭を春に行う。そのとき家祈祷も一緒に行う、家々の神々を神主が祝詞で読み上げる、屋敷神、祠の神、井戸の神、もろもろ。
某家の読み上げに番神がある。おや、こんなところまで番神が進出している。
君田からの嫁取り、婿取り、その時は番神は連れては来なかっただろうが、子どもが誕生する、番神は子どもの守り神、君田の生家から三次人形と一緒に番神が入って行くことはあることだろうね。
さて、引き返そうか。
来る途中で金毘羅神社を見落としていた。帰りに金毘羅神社に参拝していこう。
地図によるとこの道だな。街道から山へ登っていく分岐がある。分岐には岩敷タタラ跡の看板がある。坂道は傾斜が急で押して歩いて行かなきゃならない。
谷川に合流して、そこに岩敷金毘羅神社がある。金屋子神社が合祀されている。金屋子神社とは、鍛冶屋の神様、採鉱業者の神様で、タタラの神様でもあるんだね。
この奥にたたら工場があって、明治末まで鉄を生産していたのだ。この神社は岩敷集落の出入り口に位置しているのだ。
さて、戻ろう。街道まで引き返して、たらたらと街道を辿っていく。
帰ってきました、道の駅アンド森の泉、今日は意外に寒かったよ。行きが向かい風、帰りも向かい風、なんだか変な天気だったよ。
前に通った自転車のコース
2010年10月23日 神之瀬峡を行く、高暮ダム
2011年_4月17日 神之瀬峡を行く、高暮ダム、再トライ
2013年_3月21日 神野瀬川、山あいを蛇行する下流域
2015年11月11日 君田、口和、君田、備北西部広域農道
2016年_6月20日 緑資源幹線林道 口和から君田 その2
2016年_7月_2日 緑資源幹線林道 君田だけ その3
2020年_9月_8日 君田、口和、備北西部広域農道、再び

 

  標高   隣との標高差 出発からの距離 隣との距離差 区間の勾配
君田温泉森の泉 237m
泉吉田八幡宮 294m 57m 2111m 2111m 457/2111=2.7%
道の駅交差点 237m 57m 4136m 2025m 57/2025=2.8%
櫃田郵便局 273m 36m 8713m 4577m 36/4577=0.8%
寺原番神 302m 29m 9245m 532m 29/532=5.5%
櫃田郵便局 273m 29m 9533m 288m 29/288=10.1%
田和瀬橋 318m 45m 13944m 4411m 45/4411=1.0%
田和瀬番神 331m 13m 14132m 188m 13/188=6.9%
田和瀬橋 318m 13m 14386m 254m 13/254=5.1%
金毘羅分岐 296m 22m 16480m 2094m 22/2094=1.1%
岩敷金毘羅神社 321m 25m 16757m 277m 25/277=9.0%
金毘羅分岐 296m 25m 17068m 311m 25/311=8.0%
君田温泉森の泉 237m 59m 24172m 7104m 59/7104=0.8%

 別ページ、轍のページに、断面図=プロフィールマップがあります。傾斜の凹凸はそっちのほうがより感覚的に理解できると思います。

君田温泉森の泉 泉吉田八幡宮 不明の祠 君田温泉、道の駅

君田発電所 判官山 杵築神社 寺原番神の人形

寺原番神社 田和瀬番神の人形 田和瀬番神社 岩敷金毘羅神社
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