三次の神社、川地を行く(志和地駅、上川立駅)

2022年_4月25日

志和地駅発、北の集落を経て、山の中の春木へ、下りて、上川立駅を経て志和地駅へ

 

詳細地図、地図上のどこで撮った写真なのか解ります
でも軌跡を示しています、高低を示す断面図も表示できます
縮尺は、右下の+-でお好みの尺度で見てください
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明治初期の郡制施行により、郡の名前、町村の名前が登録されました。当時の登録名が川地村、上川立・下川立の[]、上志和地・下志和地の[]、両者の名前の合成で川地村が誕生したものでしょう。
※個人の感想です。公の見解かどうかは知りません。
近所に、和田村=[和]知+向江[田]、神杉村=廻[神]+高[杉]、君田村=入[君]+櫃[田]、など、この種の合成はなんぼでもあります。
近年は、、三和町、豊栄町、福富町、大和町、など、美称麗名が流行しています。
川地は[かわぢ]か[かわち]か、誕生の経緯からすると、[かわち]でなきゃなりません。川地小学校のホームページは[かわちしょうがっこう]となっています。
川地コミュニティセンターの駐車場に車を止める。一言 事務所に許可を求めておく。これで安心して車を放置できる。車から自転車を引き出して、いざ、出発。
コミュニティセンターの隣りが芸備線志和地駅なんですよ。ちょうど、列車が同時に入線してきた。ここで列車のすれ違いをするんだよ。
踏切を渡って鳥居が見えている。鳥居には志賀神社と扁額が掲げてある。由緒の看板がある。それによると
祭神は品陀和気命、ホンダワケなら八幡神社だよねぇ。もともとは八幡神社で、明治期に志賀神社と改称したとある。なぜ?さぁ。
かっては背後の山の中に神社があった時期もあったのだそうな。山の名前が明光山、わたし、登ったこともあります。

2015年10月12日 近郷近在、三次市志和地駅、明光山
志和地駅まで戻って、可愛川の錦橋を渡る。この界隈の集落名が山崎で、集落の小山に山崎神社がある。鳥居には扁額が掲げてある
本殿は集落の大きさ相応の大きさで、護持供奉していくのに程々の大きさでしょうね。
そのままたんぼの道を自転車で、セブンイレブンの前を行き、山田石油のガソリンスタンドの前を進むと、山田神社参道口利屋城跡との記念碑がある
そこから参道が始まるのだが、せっかく舗装がしてあるのだが、出水があってごろごろ石で覆われて歩きにくいのなんの。靴底に金具のクリートがあるから、こんなところは本来歩いちゃいかんのだよ。
谷の中央の道は反転して山腹に向かっている。山腹の道を眺めると、やっぱり小石に覆われている。ここまでじゃ。これ以上行く気にならない。山田神社は諦める。
ゼンリンの地図によると、山田石油の背後に山田神社社務所がある。山田神社とは、山田さんが神主で山田さんとこの個人的な神社なのか、そんなことも考えられる。ええい、やめよう。
セブンイレブンの前を通り、川地大橋を渡る。この道は三和町へ行く道で県道63号線なのだよ。
交通標識がある。最初の交通標識。県道63号線から離れて旧道に分岐して行くんだよ。板木川を渡る橋の名前が新開橋、上流に新開という集落があるが、そこから命名したのかねぇ。
小学校廃校がある。室内に電灯が見えたから地域の施設に転用しているんだろうねぇ。
登り坂が始まる。とても漕いで登れる傾斜ではない。延々と自転車を押して登って行くのだ。
峠までやってきた。この先は下り、栗尾という集落がある、集落を過ぎて、山裾を辿って行く、四角形の三辺を巡って行く。山の上にはファロスファーム花見山農場がある。部外者立ち入り禁止なのだ。
出会ったこの道は県営高域営農団地農道整備事業なのだ。
三次中央病院の突き当りに[トレッタみよし]と[みよし森のぽっけ]があって、その間からピオーネのブドウ畑へ続く、突き抜けて谷底の四差路を直進すると、ピオーネのブドウ畑の新しく開墾した畑、さらに延長してここまで来て、さらにその先へ延長して行くのだ。それが、県営の高域の営農団地の農道の整備事業なのだよ。
この先、春木の集落までは行けるが、その先、藤根原の集落に行くのは通行止めと看板にある。
春木までは行けるのだ。進んで行って、春木の集落入口で神社を見つけた。由緒書きの看板は見当たらないが、ゼンリンの地図には敬宝神社とあった。そういう名前なんだろうね。
神社の隣りには地蔵堂がある。こういうのは神仏混交とは言わないよね。たまたま隣り合わせになっているだけなんだね。
ここで弁当を食べる。ここまでで12時になってしまったのだ。
さて、戻るか。ファロスファーム花見山農場の分岐から登り坂になるが、登り坂でも軽々と漕いで行ける傾斜なのだよ。峠まで戻ってきた。
ここからは一気に下り坂、スピードを殺しながら下りていく。
新開橋の分岐まで戻ってきた。ここからは県道だが行き交う車もそんなにいない。気軽に下りて行ける。
川地大橋まで戻ってきた。橋の手前を左折する。
上川立駅は県道に面していないのだ。旧道に面している。県道から旧道に道を変えるのにまごついた。かなり適当に道を選んで上川立駅まで来た。
上川立駅は貸事務所として貸し出されている。農協に貸し出されて農協は退去した。他に、生活品センター、川立簡易郵便局、新聞上川立販売所が入居している。もうカーテンで閉めている店もあるよなぁ。
線路の向こうに太平神社があるのだ。たぶんこの道だろうとメッコを付けて進んで行く。大当たり、これでよかった。
川立史跡周辺案内図という案内看板があって、もともとは八幡宮権現社としてあったのだそうな。明治に太平神社と改名したのだそうな。
太平神社に進んでみる。背の高い石段などはなく、ほぼ平らなところに鎮座している。
前立ての鬼瓦が凄いよ。神かな、神武天皇かな、龍に乗って宙に舞っている姿なんだよ。どこの鬼師の商品なんだろう。
参拝の動線を神楽殿が遮っている。動線のままに進むと鳥居がある。鳥居には扁額が架かっている。太平神と読むべきか、太平幡と読むべきか、風雨に曝されて判断が付かない。
これで全部終わった。志和地駅のコミュニティセンターまで帰って行こう。
タイトルで、「川地を行く」と言い切ろうと思ったが、単に川地ではこの地以外では通用しないかもしれない。「川地を行く(志和地駅、上川立駅)」ここまで説明を重ねたら伝わることだろうね。
前に通った自転車のコース
2008年10月18日 三次市、南の半分 その1
2010年_9月_3日 三次、安芸高田間を往復(県道64号線国道54号線)
2011年11月_2日 国道54号線、三次・安芸高田間、往復
2012年_6月23日 可愛川、なるべく堤防を行こう
2016年_3月20日 JR芸備線沿線、三次から下深川まで
2017年_9月26日 キシャに遅れて、次善の策、下深川駅から三次駅まで
2019年_9月_3日 可愛川、なるべく堤防を行こう 2
2020年_6月24日 みよし風土記の丘から、山の道を、里の道を

 

  標高   隣との標高差 出発からの距離 隣との距離差 区間の勾配
川地コミュニティセンター 175m
山田神社麓 177m 2m 2916m 2916m 2/2916=0.1%
山田神社は断念 209m 32m 3167m 251m 32/251=12.7%
山田神社麓 177m 32m 3510m 343m 32/343=9.3%
新開橋 193m 16m 6907m 3397m 16/3397=0.5%
277m 84m 8731m 1824m 84/1824=4.6%
春木 245m 32m 10954m 2223m 32/2223=1.4%
277m 32m 13173m 2219m 32/2219=1.4%
新開橋 193m 84m 14627m 1454m 84/1454=5.8%
川地コミュニティセンター 175m 18m 23937m 9310m 18/9310=0.2%

 別ページ、轍のページに、断面図=プロフィールマップがあります。傾斜の凹凸はそっちのほうがより感覚的に理解できると思います。

川地コミュニティセンター 志和地駅 志賀神社 山崎神社
山田神社への道 新開橋 新農道と合流
敬宝神社 とうげ 上川立駅 太平神社
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