三次の神社、二つの知波夜比古神社、どっちが元祖?

2022年_1月_7日

神杉の知波夜比古神社から出発、三良坂の知波夜比古神社へ到着、反時計回りで帰る

 

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知波夜比古ちはやひこ神社というのがあります。
三次の神社巡りをしているうちに同じ名前の神社にめぐり合いました。八幡神社、天満神社のように同祖の神社というわけでもなさそうだ。きっと何かわけがあるんでしょうね。
神杉の知波夜比古神社に到着、神社の横に駐車場がある。ここを利用することにしよう。車から自転車を引き出して出発する。
まず門前に向かおう。これが鳥居前、鳥居には扁額がある。備後二宮とある。備後一宮は吉備津神社で、二宮と引き下がっている。それでも二番目と宣言するのは言い過ぎなような気がするがねぇ。
ここは神社であって城跡なんですよ。
土地の国人領主が神社に城を構えた。神主が領主になったのか、その逆なのかは分からない。
境内の周囲には土塁が巡らせてあって、土塁の外には空壕もあったようなのだ。土塁の内側に兵士が籠るとしても、二十人か三十人というところかなぁ。あまり多いと刀槍が互いにぶつかってしまうだろう。
平城だからね、実際の戦闘には役に立たなかったろうと思うよ。敵が迫ったら逃げるしかないと思うよ。その程度の弱小領主だったと想像できる。
境内に入って、社殿と真向かうと、そんなに大きな社殿じゃないよなぁ。社務所も見当たらないし、備後二宮と唱えるのはそこまで言えるかね。
参道を真っ直ぐ進んで、備北広域農道を横断して、なおなお真っ直ぐ進んで行く。みよし風土記の丘の入口に突き当たる。ここは北門なんですよ。自動車で来たら南門から入ることをお勧めします。
園内に入るわけじゃない。引き返して、中国自然歩道の道標に従って進んで行く。
美波羅川に差し掛かって、橋を渡る。馬掴橋。次々と、大平橋、本郷橋、坂原橋と渡る。川が蛇行しているんですよ。道が串刺しに貫いているから、何度も橋を渡らなきゃならない。
たんぼの中の道を進んで、県道に出る。県道430号線に出て、甲名橋を渡る。美波羅川を離れて坂道を登っていくのだ。
才の峠を登り切って、塩町に向かわず志幸町に向かっていくのだ。
なんとなく丘の上に向かってしまって、志幸八幡宮の前に寄ってしまう。 2021年_9月21日 三次の神社、川西、田幸、和田小学校学区で参拝した神社なのだ。
丘から降りて、たんぼの中の道を進んで行く。JR福塩線の線路で塞がれているので、踏切を求めて、アンダーパスのところに出た。線路が高いので線路の下に道を掘り下げるしかないのだ。
旧国道を進んで馬洗川に沿って進んで行く。右岸に渡って、そのまま進んで行く。
黒田・皆瀬・田利への分岐があるのだが、ここを行かずに三良坂の商店街の道を進むことにする。JR三良坂駅の前を通る
三良坂交番の前の交叉点を左折して、次の交差点を左折するのだ。裏通りに入っていく
三次市三良坂庁舎仮庁舎の看板がある。みらさか福祉センターに臨時入居しているのだ。そうかい、あの三良坂支所建物も建て替えの時期なのかい。
踏切を渡ってここは三良坂駅の裏側のあたり、このへんで坂道を登っていく。
知波夜比古神社の鳥居の前なのだ。扁額には知波夜比古神社とある。鳥居の近くに、三谿郡三十八箇村惣社の石柱がある。三谿郡とは、今の領域で、吉舎・三良坂・田幸・川西・神杉・和田の範囲なのだ。
三次市の前身がほぼ双三郡の範囲で、双三郡とは三谿郡と三次郡が合併したものなのだ。
鳥居から長い石段を登っていく。古社の雰囲気は増していく。
思うに、神杉の知波夜比古神社については、土豪が名前を簒奪したのではなかろうか。裏切り、盗みは普通にある戦国土豪だもの、名前を奪うなどどうってことはないのじゃなかろうか。
神社の雰囲気は三良坂のほうが優っている。神杉の神社はあまりにも平ら過ぎる。判断材料はそこなんだけどね。
再び自転車に乗って先へ進む。
街道に出て、上下川の方向へ向かっていく。
峠に出て、峠の名前が分からない、仮に、日南黒田峠と命名しておく。三良坂駅方向、馬洗川方向、上下川方向、三本の道が峠で合流しているのだ。
黒田の集落に出て、下り坂を上下川へ下りていく。橋を渡る、橋の名前が池田橋、黒田の対岸の集落名が池田なのだ。
ここからは川沿いの平坦な道を進んで行く。
備北広域農道の道に合流して進んで行く。備北大橋は今工事中、道幅が狭いので、自転車が通るのは不向きだ。一本下流の橋を通ろう。
この橋の名前は神和橋、神杉と和田を結ぶ橋で、折衷した名前で命名したわけだ。
JR神杉駅の前に出た。駅前には中国自然歩道の道標がある。そこに神和橋とあったのだ。橋には銘板がなく、名前が分からなかったのだ。駅前の道標で知ったのだよ。
このあたりは、美波羅川と芋面川に挟まれた河岸段丘で、芋面川に沿って進むと高い坂道を登らなきゃならない。
思いと違ったので面食らったが、なんとか出発地点へ方向づけて戻ってきた。
知波夜比古神社については、こっちが元祖だ、こっちが本物だと評価付けたが、個人の感想です。公的な評価というわけじゃありません。
布野に知波夜比賣神社があります。比古と比賣の違いだなぁ。偶然の一致ではないでしょうね。なんとかお近づきになりたいためでしょうね。名前の御裾分けを頂きたいためでしょうね。
前に通った自転車のコース
2012年_4月10日 馬洗川水系芋面川2(芋面川から美波羅川)
2012年_6月10日 美波羅川、水源地まで探索、往復
2012年_7月31日 福塩線、塩町駅から甲奴駅、往復
2012年_8月24日 馬洗川の源流を探る
2014年_9月_2日 石見銀山街道、三次・銀の道2、三次~甲奴
2016年_9月_2日 三次・庄原、国道と並行する脇道を行く
2017年_5月23日 三良坂から世羅町、往復
2019年_5月26日 馬洗川の源流を探る2
2019年_6月10日 美波羅川、水源地まで探索、往復 2
2020年_5月30日 三次・庄原、国道と並行する脇道を行く 2
2021年_9月21日 三次の神社、川西、田幸、和田小学校学区
2021年_9月29日 三次の神社、三良坂を行く

 

  標高   隣との標高差 出発からの距離 隣との距離差 区間の勾配  
チハヤヒコ神社・神杉 172m  
才の峠麓 180m 8m 4613m 4613m 8/4613=0.2%  
才の峠 203m 23m 5053m 440m 23/440=5.2%  
才の峠麓 181m 22m 6012m 959m 22/959=2.3%  
チハヤヒコ神社・三良坂・鳥居 184m 2m 11209m 5197m 2/5197=0.1%  
チハヤヒコ神社・三良坂・本殿 205m 21m 11367m 158m 21/158=13.3% 徒歩で 
チハヤヒコ神社・三良坂・鳥居 183m 22m 11595m 228m 22/228=9.6% 徒歩で 
日南黒田間の峠 217m 34m 12105m 510m 34/510=6.7%  
池田橋 176m 41m 13042m 937m 41/937=4.4%  
チハヤヒコ神社・神杉 172m 4m 20376m 7334m 4/7334=0.5%  

 別ページ、轍のページに、断面図=プルフィールマップがあります。傾斜の凹凸はそっちのほうがより感覚的に理解できると思います。


神杉の知波夜比古神社 みよし風土記の丘北門 美波羅川甲名橋 才の峠

アンダーパス 三良坂市街 三良坂の知波夜比古神社 三良坂の本殿

日南黒田間の峠 池田橋 神和橋 神杉駅
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