2004年4月1日
しぇるぱ単独
山域:広島備北

林道の奥に、布野冠山

 

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畜魂碑、酪農入植の記念碑今日は4月1日、わたしの誕生日だから、祝って山に行こうかね。
今日から平成大合併で新しく三次市域になった、ということで、旧布野村と旧君田村の境界の山に行くとするか。
山の名前が冠山、冠山とはどこにでもある名前だから、布野冠山という名で呼ぶことにするね。
ネットで検索しても、行った、とはあっても、こんな風に、という記録がないよ。よぅし、よし、これは初出の記録になるね。
島根県へ抜ける国道54号線、旧布野村役場前の信号を東へ向かう、いなかにしては立て込んだ家並を横目に見ながら坂道を登る、すると、三叉路の付け根に、畜魂碑と刻んだ記念碑が出てくる、ここが目標なんですよ。
つきあげ断層、理解できるかい?戦後の開拓で、酪農で入植したんだそうな、その記念碑なんだね。一帯は、牛舎がひろがって北海道的風景になっているよ。
車はそのあたりに止めて、谷沿いの道を歩いて行くんだよ。
林道だから、車で入れば入れるさ。だが、看板があって、入ってほしくないと書いてあるからには歩くことにしようよ。
牛が密集しているから、牛糞の臭いが立ち込めている。カラスも飛び回って異様な風景だね。
カラスは牛舎に自由に出入りしている、牛の餌のおこぼれを得ているんだね。鳥インフルエンザウィルスが牛に移らなきゃええけどな。
DoCoMoのアンテナ谷に入ると臭いからは解放されたね。砂防ダムがいくつも立ち上がっているよ、ここが尻無谷なんだとさ。
麓の国道からも、ここで尻無谷の頭を眺めても、通信アンテナが立っているのが見える、あそこが布野冠山なのだろうか。
林道は、谷を渡り、山腹を渡って、折り返しながら登って行く、途中の曲がりに看板がある、布野眺め、なるほど、布野の谷沿いの家並がよく見えるよ。
逆断層(つきあげ断層)と書いた案内看板がある。
固い基盤の流紋岩に対して川底の砂が押し上げられた、と解説してある。衝き上げられたものやら、陥没したものやら、どう判断するんだろ、地層の説明はいつでも独断的だよねぇ。
布野谷の風景裸木の梢に白い花がちらほらと見える、タムシバだよ。コブシと相似だが、西日本では、たいがいがタムシバなんだとさ。
どうやら最初のアンテナへ到着したぞ、DoCoMoのアンテナなんだな。
この先に遠望坂と看板がある、残念だが、植林が伸びて見晴らしをさえぎっているね。この先の次のアンテナの下あたりが展望がええよ。偶然にも不幸にも、苗木の成長がそこだけ悪くて、ラッキーな展望が得られる箇所があるよ。
二番目のアンテナなんだが、どこの通信会社か解らない、カタチからして携帯の電波塔だね。
林道の切り通しここまで、電気と電話の線が道と一緒に平行に来た。電気の線にオオタニヤマと名前があった、たぶん、この電波塔の山が大谷山なんだろうね。
麓から見えた頂上はここまでなんだよ、尖ったカタチを冠山と表現するならここが冠山なんだがね。
奥に、さらに高い山があるから、冠山はさらに奥なんだろうな。とにかく、行ってみるか。
進むうち、看板に弥太郎原、ここで尾根から別の尾根に渡って道を進むのだ。
まぁた、地学講義の看板だよ、1億年前の火山跡、火山の噴火が吹き抜けた跡だっちゅうんだが、どこが火道壁でどれが溶岩跡なのか、解りませぇん、1億年前と言われると、そうなんですか、と肯くしかないわね。
あれが布野冠山谷向こうに大きな峰が見えるんだが、手前に深い谷があるんだよ。谷を迂回しながら峰続きに進んでいるとしか思えないよね。
道は尾根の切り通し、ざっくりと尾根をえぐって、こっちの山腹からあっちの山腹へ渡って行くよ。
山腹を移ると風景も一変するね、南への展望が広がるんだが、今日は黄砂のせいで見通しが悪い、三次の市街はあそこだなと見当付けるのがやっとだよ。
この先への道は峰続きにうねうねと連なっているのが見える、襞々を重ねながら続いて行くね。
ここから道は下りになるのかい、下った終点に旧堤の看板、ははぁ、ため池があるんだよ。ここの水は尻無谷の来た道へ流れているんだね。
池の末端からはまた登り勾配、登って行かなきゃ先行きがはかどらない、登り歓迎だよ。
林道から分岐するポイント切り通しを抜けるとビニル紐がたくさんある、何のマークだろ、高みに立つと、君田側の茂田集落が見える、ここから見るとすぐ下に見えるねぇ。布野側へはどぉんと下りないと集落までははるかに遠いよ。
しばらく歩くと茂田眺めの看板があるが、だめだ、見えない、先ほどのビニル紐のところに看板を譲るべきだね。
道の先に尖がりの山が見える、あれが布野冠山なんじゃないかな。
道は大きく曲がって、こっちの峰とあっちの峰を繋ぐ峠になったよ。曲がり角に、冠山と看板がある。
ここだ、ここだ、ここで林道から離れてやぶに入るのだ。
この曲がり角、笹原へ登る笹を握って崖を登る、道は笹原だね、踏み跡が薄く続いている、やはり、一年に何人かはこの山に入るんだね。
テープが頼りだよ。みんな散らばって歩き始めてる、踏み跡が当てにならなくなった。
笹原を登って、やぁ、頂上だよ。
頂上には、壊れた看板と三角点がある、布野冠山と案内標示がしてある、国土地理院では冠山なんだが、布野冠山でないと、不都合だよ、区別に困る。
登るとき、常に後ろを振り向いて風景を確認しといたんですよ、下りる方向を間違えたらとんでもないところに行ってしまう。
テープからテープをたどって、下の林道まで戻ってきたよ。
布野冠山、頂上テープを残すな、という過激な哲学を持つ輩がいるが、賛成できないよ。美学を実践して、テープをむしり取ってしまうこともあるそうだが、これは殺人に等しいよ。
ここでテープが無かったら、どんなに不安に駆られることか。
さぁ、元の道を帰ろうか。コの字、?の字を書くように歩いて来たんだね。谷向こうの峰は湯谷山だったんだな、こっちの峰と湯谷山の間には深い谷があったのか。
下りながら振り返ると、今なら布野冠山の山頂は同定できる、登るときは、どれがどれやら見当も付かなかったもんね。
ずっと林道歩きの一日だったが、なかなかに面白かったよ。これが昔どおりの山道だったら、展望もないし、もっともっと時間がかかっていたことだろうしね。

遠くから見ると、布野冠山が冠山と呼ばれる由縁が理解できます。
冠山コレクション・リスト
    2000年_7月29日 冠山(福井県池田町、岐阜県揖斐川町)
    2003年_9月30日 中野冠山(広島県北広島町)
    2003年11月12日 可部冠山(広島市安佐北区)
    2005年11月30日 石見冠山(島根県邑南町)
    2006年_1月30日 可部冠山2(広島県北広島町)
    2006年_7月28日 布野冠山2(広島県三次市)
    2006年_8月_5日 湯来冠山(広島市佐伯区)
    2006年_8月16日 久地冠山(広島市安佐北区)
    2007年_3月12日 冠岳(広島県廿日市市、大竹市)
    2007年_7月19日 田ノ原冠山(島根県邑南町)
    2008年_6月12日 吉和冠山(広島県廿日市市)
    2008年_8月_3日 吉和冠山、正面(広島県廿日市市)
    2008年_9月28日 吉和冠山、正面2(広島県廿日市市)
    2008年10月16日 都賀冠山(島根県美郷町)
    2012年_4月17日 石見冠山2(島根県邑南町)

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詳細地図、地図上でどこで撮った写真なのか解ります




カシミール展望図をつけました。立体的に地形が浮き出て一目でイメージを把握できます。


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